ナウシカの絵コンテ分析で叶精二が見た 宮崎駿の葛藤

 宮崎駿監督の最高傑作(記者の私見)にして最大の問題作、漫画『風の谷のナウシカ』を徹底的に読み解こうという企画、今回は宮崎作品研究の第一人者である映像研究家、叶精二さんにお話をうかがいました。漫画版と映画版絵コンテの徹底比較、『ナウシカ』の知られざる原点である漫画『砂漠の民』など、すれっからしのジブリマニアもうならせる話題が満載です!

【連載】コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ(全8回)
 宮崎駿監督の傑作漫画「風の谷のナウシカ」は、マスクをしないと生きられない世界が舞台です。コロナ禍のいま、ナウシカから生きる知恵を引き出せないかと、6人の論者にインタビューしました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、民俗学者の赤坂憲雄さん、生物学者の福岡伸一さん、社会学者の大澤真幸さん、映像研究家の叶精二さん、漫画家の竹宮惠子さんの6人が、それぞれの「ナウシカ論」を語り尽くします。

「ペジテ」の地名、ナウシカより前に登場した漫画「砂漠の民」

 ――なぜ、宮崎駿監督はアニメーターでありながら、漫画『風の谷のナウシカ』の連載を始められたのでしょうか。

 「宮崎監督は元々、漫画家志望でした。学習院大学時代には、貸本の出版社に漫画を持ち込まれたこともあったそうです。作品は時代劇や市民革命を扱った難解な大河長編ばかりで、日の目をみないまま卒業を迎えたそうです」

 「漫画家になるかアニメーターになるかで悩み、覚悟が決まらないまま東映動画に入社されました。そこでアニメーターの森康二さんや大塚康生さん、演出の高畑勲さんといった先輩たちと出会い、組合運動に取り組み、ソ連のアニメーション映画『雪の女王』(1957年)に感銘を受けたことで、アニメーションの道を本気で歩み始めたそうです」

拡大する宮崎駿監督が1969~70年にかけて秋津三朗名義で新聞連載した『砂漠の民』第2回より。初期のころは漫画というよりも絵物語に近いスタイルだった (C)Studio Ghibli

 ――宮崎監督は新人の頃からどんどんアイデアを出されていた、と聞いていますが。

 「当時は、メインスタッフになるまで下積みで経験を積む必要がありました。一方で、新人のアイデアでも採用しようという民主的な空気もあったわけです」

 「長編アニメーションは集団創…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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