抗寄生虫薬を作り、発展途上国の多くの人々を失明から救って、ノーベル医学生理学賞を受けた大村智さん(84)。美術を愛し、収集家としても知られる。2015年のノーベル賞発表日の会見で語った「みんな微生物がやってくれたこと」という印象的な言葉の背景には、親交が深く、今年亡くなった日本画家・堀文子さんのある憤懣(ふんまん)があった。
今から約20年前。当時大村さんが理事長を務めていた女子美術大学の創立100周年が近づいていた。記念事業にあたり、大口寄付者へのお礼として、活躍中の卒業生10人の作品でつくる記念版画集を企画した。その中の一人が堀さん。伝統に縛られず自然を描き、「群れない、慣れない、頼らない」を旨として絵の道を歩む人だ。依頼する画家の中で「最難関」とみて、知人に会食の機会を設けてもらい、説得に赴いた。
酒を酌み交わし語り合うと、あっという間に意気投合。そこから交友が始まった。堀さんが研究室をおとずれ、顕微鏡で微生物をのぞいたこともあった。神奈川県大磯町のアトリエから東京に来た際、「飲みましょう」と声がかかる。会話はいつも年上の堀さんがリード。「私のお姉さんのようでした」。素晴らしい言葉だと思うとメモをした。そうしてできた堀文子語録が手元にある。
中でも記憶に残るのが、しばし…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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