バッシングに感じた恐怖 生活保護裁判、それでもまた闘う

 政府が生活保護基準を引き下げたのは違法だとして、約1千人の生活保護の利用者が、全国各地で起こしている訴訟。4月の大阪高裁が原告の訴えを認めなかった一方、11月末の名古屋高裁は引き下げを違法とし、国に賠償も命じた。

 現時点の地裁判決も半数以上で利用者側が勝訴しているが、大阪訴訟に加わる大阪府岸和田市の男性(51)は「裁判は苦しい選択。しないで済むなら、その方がいい」と吐露する。

 異議を申し立てる人に対して、時に冷酷な視線が浴びせられることを、身をもって経験したことがあるからだ。

妻と2人、パンの耳を食べた日々

 男性が生活保護制度に関して裁判をするのは、今回が2回目になる。

 1回目のきっかけは、リーマン・ショックが起きた2008年、妻(58)の母親を介護するために岸和田市に引っ越したときだった。

 急激な不況のあおりで、生活の糧を得てきた工場での派遣労働などの仕事がなくなった。ハローワークに通って様々な職種に応募しても仕事はみつからず、貯金はほとんど底をついた。

 生き延びるため、近くの支援団体のサポートを受けて市役所に生活保護の申請書を提出した。

 だが、5回続けて却下された。

 市が挙げた却下の理由は「稼働能力活用により最低生活維持可能」。つまり「働けば生活できる」という意味だ。

 でも、財布には200円しかない。どうやって職を探せというのか。近所から野菜をもらい、妻と2人でパンの耳と一緒に食べる日々が、1年ほど続いた。

 生活保護の申請は09年夏、6回目で認められた。それまでの判断は、いったい何だったのか。市の対応に納得できず、11月に過去の却下処分について取り消すよう求めて大阪地裁に提訴した。

「生活保護バッシング」のなか

 裁判は4年間続いた。男性は「つらいことばかり。何度も投げ出したくなった」と振り返る。

 まず、ネット上にあふれる中傷だった。

 「わがまま」

 「税金の無駄遣い」…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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