コロナ禍だからこそ旅気分を味わって欲しい――。そんな思いの詰まった企画展が堺市堺区のさかい利晶(りしょう)の杜(もり)で開かれている。
企画展のタイトルは「与謝野寛・晶子夫妻の旅」。企画した学芸員の矢内一磨さんによると、シベリア鉄道に乗ったことがあるなど旅慣れた晶子が訪れなかった国内の都道府県は高知と沖縄の2県だけ。11人の子育てに明け暮れた晶子にとって、旅は創作活動の糧であり、生活の糧を得る講演活動とも一体化したものだったという。
今回の企画展は夫妻で旅をした回数の最も多かった1931(昭和6)年にスポットをあてた。
大正後半から昭和初期に旅行ブーム
晶子が旅をした大正時代後半から昭和初期にかけて日本では空前の旅行ブームが起きていたという。当時流行したものに鳥瞰(ちょうかん)図(パノラマ地図)がある。
この時期に活躍した鳥瞰図画家・吉田初三郎(1884~1955)が数多くの作品を残した。堺市博物館は約1500点の吉田のパノラマ地図を収蔵する。
今回は1931年の旅先を、同時代に描かれたパノラマ地図でたどることで、見る人に旅気分を味わってもらうことをねらった。
晶子は31年5月から6月にかけて北海道を訪れた。函館や札幌を回った後、旭川や層雲峡まで足を伸ばし、立待岬にある石川啄木の墓参りをした。旅先で詠んだ歌とともに、函館と旭川のパノラマ地図を紹介する。
会場でひときわ目を引くポスターがある。その名も「全国大掌(だいしょう)大会」。
この年の10月上旬に晶子夫妻が旅した大分県別府市で開かれた大会だ。果たしてどんな大会だったのか。
大会を企画したのは、亀の井ホテル社長の油屋熊八(1863~1935)。「地獄めぐり」と名付けたバスツアーを企画したり、宿泊代金をシンプルにしたりと、アメリカ仕込みのサービス業を展開。耕作に適さない荒れ地だった別府を一大観光地としてプロデュースした人物として知られる。
パノラマ地図でたどる与謝野晶子が見た風景
記事後半では、奇抜な大会とともに、大会で与謝野晶子が語った祝辞も紹介します。さらに、別府だけでなく、旭川や徳島など、当時の街の姿がわかるパノラマ地図で晶子が訪ねた地を紹介します。
熊八は自身の大きな手が自慢…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル