太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で、マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)してから67年にあたる1日、核兵器廃絶を願う催しが各地で開かれた。核兵器禁止条約の1月の発効後、初めて迎えた「ビキニデー」。「核なき世界」の実現を訴える声が相次いだ。
ビキニデーは毎年、福竜丸の地元・静岡県焼津市で集会が開かれてきたが、コロナ禍の今年はオンライン開催となった。広島や長崎からもメッセージが寄せられ、田上富久・長崎市長は「条約の発効がゴールではない。条約を育て、実効性を高めるために世論の醸成が重要」と語った。
焼津市では同日、事件半年後に亡くなった福竜丸の無線長・久保山愛吉さんを悼む墓前祭が開かれた。約50人が参列。第五福竜丸平和協会代表理事の山本義彦静岡大名誉教授は「核なき世界の実現と核被害者の根絶をめざしてみなさんと奮闘する」と語った。日本が条約に参加していないことに触れ、唯一の被爆国である日本こそ核兵器禁止条約を提唱すべきだと訴えた。
米国が67回の核実験を繰り返したマーシャル諸島でも式典があった。マーシャル諸島は3月1日を「核被害者追悼記念日」と定めている。
1日に行われたオンライン集会では、福竜丸の冷凍士だった大石又七さん(87)のメッセージも読み上げられた。「ビキニ事件は遠い過去に終わったことではなく、未来の命に関わるんです。忘れてはいけない事件なのです」
大石さんは700回を超える講演を重ねてきたが、かつては事件への言及を避けていた。重い口を開くきっかけは、ある中学生たちとの出会いだった。
「俺がいなくなっても…」模型に願い託す
「文化祭で福竜丸について発表するので話を聞かせてほしい」。1983年、都内でクリーニング店を営んでいた大石さんに、東京都町田市の和光中学校の生徒から電話があった。
だが、福竜丸の乗組員に1人2…
2種類
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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