ファッションブランド「ホワイトマウンテニアリング」を率いるデザイナー相澤陽介さん(42)は、若くしてパリなど海外でも高い評価を得ている、今注目の存在です。コロナの時代のファッションはどこへ向かうのか。少し型破りな自身の歩みを振り返りながら語ります。
記事の後半では、相澤さんのインタビューをお読みいただけます。
グリーンバックのスタジオに、様々な角度でカメラが9台。モデルのスタイリングを丹念にチェックする。
手がけるブランド「ホワイトマウンテニアリング」の服を5年前からパリ・メンズコレクションで発表し続けている。6月の予定だったショーはコロナ禍で7月にウェブのみの発表に。新作紹介の動画をテクノロジー集団「ライゾマティクス」と共同制作した。服を分解して見せる効果を織り交ぜた映像は冒頭、服も背景も黒一色。華のある現実のショーから一転した。「コロナ後のファッションは、より私的なものになる。『自分、そして多くの人が今着たいもの』を熟考した結果が黒だった」
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モード×アウトドア
前回1月のパリ・メンズで公式プログラムのショーを披露した日本の最年少デザイナー。モードでありながらアウトドアの要素が入ったデザインで評価と業績を伸ばし、仏発祥のモンクレールや独アディダスなど数々のブランドと協業を重ねた。今秋にはスーツを得意とする伊ラルディーニとのコラボも始まる。昨年2月、Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌のクリエーティブディレクターに就任。ビジュアルやTシャツなどグッズのデザインを担う。
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2001年、モードの旗手コムデギャルソンに入社。社内ブランドでパリの常連ジュンヤ・ワタナベのアシスタントとしてメンズの立ち上げなどを5年間担った。退職後の06年に現在のブランドを運営する会社の社長に誘われてホワイトマウンテニアリングを旗揚げ。「当時は、ストリート系もモード系もブランドが多数あって市場は飽和状態。それならモードと、大好きなアウトドアを掛け合わせようと思った」
賞とは無縁でも
原点の一つは、26歳の時に他界した父・義忠さんとの思い出だ。「よく一緒に山に行った。釣りが好きで、おしゃれで……」。義忠さんはコットンに油がなじむ防水生地を使う英バブアーのジャケットや、米ハンティングワールドのバッグなどを愛用していた。いずれも、協業などでデザインを手がけることになるブランドだ。「あの世からおやじが糸を引いているのかも。生きてたら、超興奮してたでしょうね」
一方、若手デザイナーの登竜門とされるLVMHプライズなど、ファッション界の主な賞とはこれまで無縁の“無冠の帝王”だ。業界では彼を「デザイナーというより、商売上手なビジネスマン」と揶揄(やゆ)する人もいる。
本人は、全く動じない。「ファッションデザイナーの仕事は、単に服の造形を手がけるだけではなく、ビジネスも含めたデザインを描くこと。賞よりも、僕の服を着てくれる人々、仕事をともにする人々に向き合い続けたい」(後藤洋平)
ここからは、相澤さんのインタビューの一問一答です。ファッションに対する独特なアプローチを披露してくれています。
――ファッションデザイナーになった経緯は?
学生の時はまったく興味がなか…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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