2020年11月の米大統領選に向けた民主党の候補者選びで、初戦にあたるアイオワ州の党員集会の途中段階での集計状況が公表された。バーニー・サンダース上院議員(78)、ジョー・バイデン前副大統領(77)といった重鎮を抑えてトップに躍り出たのがピート・ブダジェッジ前サウスベンド市長(38)。立候補を表明している候補では最年少だ。
選挙戦は現時点では日本に関する話題は皆無といってよく、ブダジェッジ氏の対日観もはっきりしない。ただ、同氏の自伝には、「Japan」または「Japanese」という言葉が5回登場する。
■ハーバード&オックスフォード→マッキンゼー
党員大会は2月3日(現地時間)に行われ、日本時間2月5日午後の71%時点で、ブダジェッジ氏が得票率26.8%でトップを走り、サンダース氏25.2%で続いている。
ブダジェッジ氏は中西部インディアナ州サウスベンド市生まれで、父親はマルタからの移民。ハーバード大、オックスフォード大を卒業し、戦略コンサル大手マッキンゼー勤務を経て出生地のサウスベンド市の市長を2期務めた。市長在職中に7か月にわたってアフガニスタンで従軍したこともある。同性愛者であることを公言しており、17年に結婚した夫と一緒に選挙活動を展開している。
過去のブダジェッジ氏の発言や同氏をめぐる報道では、日本への言及は確認できない。ただ、わずかに「Japan」の単語が登場するのが19年6月に出版した自伝「Shortest Way Home(最短の帰路)」だ。アフガニスタン派兵を回想する場面で、いかにして戦争を終わらせるかについての「出口戦略」についての言及も多い。そこで最初に「Japan」が登場するのが
「ある暇な日の食事後、『Japanese WWII holdouts(第二次大戦における残留日本兵)』とググった」
という箇所だ。
小野田寛郎さんの「戦争」に関心
残留日本兵の代表的存在が、終戦を信じずにフィリピン・ルパング島のジャングルに潜伏し、元上官の任務解除命令を受けて1974年に帰国した元少尉の小野田寛郎(ひろお)さんだ。自伝では小野田さんが帰国するまでの経緯に関する記述が続き、小野田さんが死去した14年1月が「ちょうど私がアフガニスタンに向けて荷造りをしていた時だった」。その上で、小野田さんの潜伏期間と対比させる形で、自らのアフガニスタン生活をいかに長く感じたかを説明した。
「小野田の戦争は34年続いた。自分の戦争は7か月足らずだったが、2回にわたって投票が行われたアフガンの(大統領)選挙と、待ち望まれていたISAF(国際治安支援部隊)の司令官交代の興奮と不確かさを網羅するには十分だった」
自伝での日本に関する記述はこれだけだが、今後の候補者指名争いで貿易摩擦や雇用がクローズアップされれば、言及する可能性もありそうだ。
今後、候補者指名争いは、2月11日の北東部ニューハンプシャー、22日の西部ネバダ、29日に南部サウスカロライナなどで予備選や党員集会が続く。リードしたアイオワは全米よりも白人の割合が高いのに対して、他の都市ではヒスパニックや黒人の割合が高く、情勢が変化する可能性もある。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)
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