ツイッターなどネット上で「ポテトサラダ」をめぐって議論が白熱しています。「ポテサラ論争」とも名付けられたこの現象の発端は、あるお母さんが投稿したエピソードでした。
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「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。
私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。
(みつばちさんのツイッターの投稿から)
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この投稿の真相は不明ですが、このツイートに対して、母親像の押しつけだ、ポテトサラダは作るのが大変だから惣菜を買ったほうがいい、やはり手作りすべきだ、などといった多数の意見がネット上にあふれています。議論は日本の社会構造にまで及んでいます。
こんなに大きな反響があったのは、この高齢男性の失礼さもさることながら、ポテトサラダが誰にでも身近な存在だからかもしれません。そもそも、ポテトサラダはどうやって日本の「国民食」になっていったのでしょうか。キユーピーの広報の森田里佳さん、マヨネーズチームの加藤幸江さん、野菜・惣菜研究チームの溝上晃弘さん、デリア食品株式会社(キユーピーグループ)で商品開発を担当する上地利征さんにお話を聞きました。
キユーピー創始者も食べて感動
Q:今や国民食ともいえるポテトサラダですが、じゃがいもをマヨネーズであえたサラダは、海外でも見かけます。そもそも、ルーツはどこにあるのでしょうか?
森田さん:ポテトサラダのルーツは、諸説ありますが、ロシア・モスクワのレストラン「エルミタージュ」のシェフ、リュシアン・オリビエが、19世紀に考案したオリビエ・サラダ説が有力です。じゃがいもに蒸した鶏肉、ゆで卵、にんじん、きゅうりを加えてマヨネーズであえたサラダでした。それが世界に広まり、スペインなどでは今でも「ロシア風サラダ」がメニューに載っているそうです。
拡大する日本テレビ系「3分クッキング」1万回記念の料理は戦後の「国民的家庭料理」と言えるハンバーグとポテトサラダだった=1995年7月撮影
日本では、大正時代に帝国ホテルでポテトサラダが提供されていたという記録が残っています。キユーピーのマヨネーズが発売されたのは1925年ですが、約130グラムの小瓶に入っていて、当時の価格で1700円ほどでした。それを使ってポテトサラダを作ったとしたら、高級なサラダだったのではないかと思います。
Q:キユーピーのルーツも、ポテトサラダにあるそうですね。
加藤さん:創始者の中島董一郎がアメリカに留学したときに、マヨネーズがかかったポテトサラダを食べて感動したことが、マヨネーズを日本で発売したいと思ったきっかけでした。当初は、まだ生野菜を食べる文化はなかったので、サケなどに合わせる食べ方を提案していました。
Q:創始者がそこまでほれ込んだ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル