名画「モナ・リザ」に向けて赤色のスプレーを噴射する――。今から49年前、米津知子さん(74)はそんな行為をしてメディアからの非難を浴びた。噴射は、障害者を排除しようとする社会への抗議の行動だった。女性差別と障害者差別。二つの差別の間で引き裂かれた半生から見えたものは。
49年前の「抗議」行動 排除への怒りだった
――1974年、東京国立博物館で開かれた展覧会で「モナ・リザ」の保護ガラスに向けて赤いスプレーを噴射したとき、25歳でしたね。逮捕され、軽犯罪法違反として、科料3千円の判決が確定しています。
「モナ・リザの件を語るのは私にとって今でもとてもハードルが高いことで、緊張します」
――「モナ・リザ展」主催者である文化庁は、会場が混雑するからとして車いすの障害者やベビーカーの入場を事実上、禁じようとしました。スプレーはそれへの抗議だったのですね?
「そうです。障害者だけでなく子連れの母親なども排除した。いくらなんでもひどすぎないかと怒りを感じました」
――米津さんにも幼いころから障害があったと聞きます。
「2歳のときポリオにかかって右脚にマヒが残り、足を引きずらなければ歩けなくなりました。当初は『ひとと違う』という意識はなかったのですが、外に出ることでその意識が強まっていきました。じろじろと私を見る視線に出会ったのです。かわいそうな人を見ちゃったというまなざしであり、私が見返すとスーッとそれていく目でもありました。私の顔をきちんと見てはくれないのです」
「小学校の体力テストでは担任から『教室に残っていなさい。あなたがいるとクラスの平均値が下がっちゃうから』と言われました。さみしい気持ちでした。自分は他の子とは違う扱いを受けるのだということがはっきり分かってしまった」
「自分は親に負担をかける子どもだ」
――中でも一番イヤだと感じていたことは何でしたか。
「横にいる親が同じ視線を受…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment