初の日本開催となったラグビー・ワールドカップ(W杯)。22日には、大阪府東大阪市の花園ラグビー場の初試合となるイタリア-ナミビア戦が開かれる。花園は約90年前に開場して以降、数々の名勝負を魅せてきた「ラグビーの聖地」。その後の人生を変えるほどの影響を受けた人も少なくない。今大会ではどのようなドラマが生まれるのか、ラグビーファンたちの高まる思いが交錯する。(江森梓、鈴木俊輔)
「花園は世界に誇れるラグビー場。10年間、ホームグラウンドとしてプレーできたことを誇りに思う」
試合開催を前に、ラグビー界の“レジェンド”で元日本代表の坂田好弘・関西ラグビー協会長(76)は語る。
W杯ではイタリア-ナミビア戦をはじめ、計4試合が開催される予定の花園だが、その歴史は古い。
東大阪市によると、昭和3年に昭和天皇の弟、秩父宮が大阪電気軌道(現近鉄)に乗車した際に同社役員に整備を提案したことを受け、翌年には全国初のラグビー専用グラウンドとして竣工(しゅんこう)。31年から平成14年には、社会人ラグビーチームの王者を決める「全国社会人ラグビー大会」も開かれ、スター選手らのプレーを一目でも見ようと多くのファンが足を運んだ。
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「子供のときからいろいろビッグゲームを目の当たりにして、ラグビーの魅力にはまっていましたね」
東大阪市の橋本一吉さん(74)は懐かしそうに話す。ラグビー場は自宅から徒歩約10分の距離にあり、物心ついたときからシーズン中は毎週のように通っていた。印象に残っているのは、当時近鉄に所属していた坂田さんらのプレーだ。「まるでスピード感のある格闘技。とにかくかっこよかった」
橋本さんも就職した会社で本格的にラグビーを始め、20代のころにはあこがれの花園出場をかなえた。試合には負けたが、花園でプレーできたことは今でも自慢だ。
昭和38年以降は全国高校ラグビー大会の開催地に。ラグビー好きが高じて、退職後に木製ラグビーボールを作る会社を立ち上げた橋本さんは、優勝校に授与するトロフィーを作り続けている。
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今回が初の日本開催となったW杯だが、花園ではこれまでも世界トップクラスの試合がたびたび開催された。第1回大会がニュージーランドとオーストラリアで開かれた1987年には、優勝したニュージーランド代表が花園で日本代表と対戦。当時併設されていたゴルフショット場で、受け付けをしていた近鉄レジャーサービスの山本和仁さん(55)=同市=はたまらずに、休憩の合間にラグビー場をのぞいた。試合には負けたが「世界レベルのプレーを生で見られてよかった」と振り返る。
平成27年に、花園の設備は近鉄から東大阪市へ譲渡され、その後、W杯に合わせて大幅な改修工事も行われた。かつてから大きく様変わりしたが、「花園は特別なラグビー場で、ほかとは全く雰囲気がちがう。ぜひ試合を観に来て、会場でその特別な雰囲気を感じてほしい」と坂田さん。聖地に、新たな歴史が刻まれようとしている。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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