ネット空間における言論のファスト化が進み、特にSNSでは分断や排外主義が加速している――。評論家で編集者の宇野常寛さんは、そんな問題意識で近年、じっくり思索する「遅いインターネット」の必要性を説いてきました。この春からは、ネットを飛び出して街に居場所を作ろうという「庭プロジェクト」を立ち上げています。狙いは?と聞くと、「イーロン・マスク問題への応答ですね」。そのココロは。
なにかとタイパが求められるファスト社会で、「スロー」を重視する動きが相次いでいます。ときには立ち止まって、じっくり、深く……スローをめぐる価値、思考の意味を問い直すインタビューシリーズです。
――「遅いインターネット」を提唱されて久しいですが、実現できていますか?
全くできていないですね。問題提起にとどまっています。
「遅いインターネット」は、一つは、紙の文芸誌や論壇誌に匹敵するような重厚で超長い原稿を定期的に無料で公開していくこと。これは1990年代のインターネット黎明(れいめい)期の理想でもあると思っていて、チャレンジしてきましたが、広がってはいません。
――なぜ無料で公開を?
僕はSNS以前の初期のインターネットが好きなんですよ。ネットサーフィンという言葉がまだ現役だった頃、検索していったら誰かの書いた長文が出てきてそれがすごく面白いみたいな経験をしたことって少なからずあるでしょう? 今はグーグルで検索すると、アフィリエート目的の広告サイトや自動生成広告ばかり出てくるけれど、当時は、発表する場のない思いをひたすらつづったものとかがいっぱいひっかかってきた。ああいった時代のインターネットの良さをどう現代にアップデートするか。僕なりに試行錯誤し、必ずしもうまくいかなくてもやってみよう、と。
「考えないための言葉」の流通に危機感
今のインターネットは速すぎて、人間を考えさせない装置になっている。世界中がそれに侵食されつつあるからこそ、長い記事をゆっくり読んでほしいという考え方ですね。
もう一つが、ワークショップ。世の中に一言ものを申したいけれど、スキルが足りなくてできずにいる人たちに、自分の考えをある程度体系的に発信し、ちゃんと残るものになっていくスキルを共有しようという講座です。もう足掛け4年くらいやっていて、最近はこちらに力を入れています。若い学生から50代まで参加していて、好評です。
「遅いインターネット」を言い始めたのは、2017年ごろから。米国でトランプ大統領が誕生し、英国の欧州連合(EU)離脱交渉が始まった時期です。まさにその言葉を冠した著書を出したのが、コロナショックが世界を襲った20年2月。世界的な混乱や、検索しても出てこない未知のものへの恐れ・不安につけ込む形で、敵対している人や団体をおとしめようという流れにコロナ禍は最大限に活用された。最たるものが前代未聞の米連邦議会襲撃事件だったと思います。アテンションエコノミーに拍車がかかり、インターネットはますます速くなってしまいました。
だから、忸怩(じくじ)たる思いを抱えながらやってきました。
――「遅いインターネット」という問題提起のきっかけは?
僕が国内の言論やジャーナリズムにコミットしていく中で、閉塞(へいそく)や居場所のなさを感じ始めたためです。民主主義の前提となる世論形成のメカニズムが揺らぎ始めているという危機感もありました。
僕よりちょっと上の世代で、かつては是々非々で物事を語っていた中道的な人たちが、左傾化もしくは右傾化していったんですよ。
例えば選挙のたびに「だからリベラルはだめなんだ」と、後出しジャンケンで弱い方にだめ出しをすることで、自分たちを賢く見せるようなパフォーマンスでお金を集め、誰かをおとしめる快楽を読者に提供するようになりました。
そこまでひどくなくても、単純に今のSNSでは、ある政治勢力をおとしめるようなことをちょっとユーモラスに、できる限り汚い言葉や、読んだ相手が傷つくような表現で、適切なハッシュタグをつけて投稿する。するとその敵対勢力の人たちが、瞬く間に何十もの「いいね」をつけてくれます。
一時的にでもいいから誰かに認められたいと思った人が簡単に承認を獲得する方法が、政治的に過激な発言になっているわけです。そうして「ものを考えるための言葉」ではなく、「考えないための言葉」の方が流通していきました。国内言論の後退だと思います。その状況にすごくうんざりしました。
プラットフォーマーの人たちと話をすると、冗談混じりに「宇野さんももっとリベラルを批判すれば客がつきますよ」みたいなことを言われたりするんですよね。実際にそういった肌感覚があるのでしょう。ただ、僕はそっちには一切手を染めなかった。それがたぶん、数は多くないかもしれないけど、一部の読者の信頼を獲得してきたのだと思います。
我々は、戦時下で人が人を手にかけた20世紀や、1960年代の「政治の季節」への反省から、時に左翼的であることを恐れてはいけない、しかし左翼的であることが目的であってはいけないという、吉本隆明氏的なテーゼを前提としていたはずなのに、その前提が壊れつつある。自分たちが敵を殴る快楽を手にするためなら、半世紀以上前の教えを忘れてもいいんだと思っている人たちが少なくありません。
僕が批評や言論に興味を持ち始めたのは小学校高学年~中学生の頃でした。戦後民主主義を批判する新保守派が、朝日・岩波の戦後民主主義的な建前を笑い、その芸が1987年に始まったテレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」でも展開されていました。あれはあれで問題提起的な側面が確かにあったと思いますが、役割はすでに終えた。なのに、初期の「朝生」で使い古された言説が今、コピー・アンド・ペーストして再現され、ネット課金につながっている。非常に貧しい状態になってしまっている。
とはいえ、うんざりして引きこもって半ば引退してしまうには僕はまだ早いので、世の中に一石を投じてみようと思った。日常の情報との付き合い方に問題提起をすることで世の中を変えていこうというのが、「遅いインターネット」だったんです。
考える量が少ない人の方が、速いインターネットに身を任せてしまう。情報の内容ではなく、タイムラインを追うだけだとイエスかノーかだけなので、思考もわずかで済んでしまう。だから僕はむしろ、思考の速度や量を維持するために、拙速な反応は控えなきゃいけないということですね。
今春始動の「庭プロジェクト」とは
――最近はさらに、「庭プロジェクト」に取り組み始めたそうですね。どのようなものでしょう?
こういったアテンションエコノミーと承認の交換のゲームが作用しづらい環境を都市の実空間に埋め込もうというプロジェクトで、今年4月に始めました。まだ議論の最中ですが、実空間に居場所を作ることで、SNSでの承認の交換という快楽への依存を相対化する都市開発のコンセプトを作っていくイメージです。
――もはやインターネットから飛び出していく試みですね。
僕はコロナ禍以降、街づくりプロジェクトの外部ブレーンをやったり、空間について考えたりすることがすごく多かったんですよ。そこで知り合った官民の仲間たちや研究者がたくさんいて、問題提起的なプロジェクトをしっかりやりたいという話になったんです。学生も参加して議論しています。
街づくりにかかわって思ったのが、常時接続の端末をみんなが持っている現在、空間の性質がかなり変わってしまっている。なのに対応した空間設計や都市開発の議論がなされていません。例えば観光地の絶景スポットにつけられたハッシュタグを目的に歩いている人たちって、そこで目にするものや手に触れるものに関心をあまり払わないわけですよね。「インスタ映え」という言葉が象徴するように、サイバースペースの支配下に実空間があるわけです。
そうではなく、実空間の力を相対的に強くすることによって、今のプラットフォームの支配に一石を投じることができるんじゃないかと。
スマートシティー化の波は日本にもやってくるでしょう。必ずしも順調な社会実験ではないのに、あまり知られていません。先行する米国ではむしろ、批判的な検証も多くなされています。例えば米アルファベット(グーグルの親会社)の子会社がスマートシティー化に乗り出し、住民の個人情報流出リスクが大問題になりました。日本が無邪気にフェイスブックやツイッターを重視してきたことを考えると、同じようなことが日本でも起こり得るのではないか、という危機意識も芽生えました。
――プラットフォームに対抗する空間をつくる先に、何を見据えているのでしょう。
超具体的に言うと、「イーロン・マスク問題への応答」なんですよ。
彼がツイッター社を買収して…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル