ロケ地にもなった廃鉱の街 亡くなった女性が撮っていた1万余カット

 「お金は出せないけど、印税もいらない。寺崎英子の名前が入った写真集をつくって」

 寺崎英子さんから缶に入ったネガフィルムの束をどさっと押しつけられ、写真家の小岩勉さん(61)は戸惑った。寺崎さんとは、だいぶ前に2、3回会っただけだった。

 寺崎さんは当時74歳。宮城県栗原市にある鉱山のまちで暮らしてきた。日本有数の鉛・亜鉛産出地で知られた細倉鉱山だ。独学で写真を覚え、1987年の鉱山閉山の少し前から、ヤマの最後を撮り続けてきた。

 渡されたフィルムはモノクロとカラーを合わせて371本、約1万1千カット。大半はプリントされておらず、どんな写真かもわからない。

 「一度預かります」。仙台市から訪ねていった小岩さんはそう答えたものの、帰り道で後悔した。「えらいこと引き受けたな」と。

 その時は、彼女の写真にこん…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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