一度は消した原爆の記憶 91歳が詩に込めた人の弱さ

 平和祈念式典会場の公園周辺が商店街だったころ、母子4人で住んでいた。74年前のあの日、爆心地になった。原爆を忘れたい。忘れてはいけない――。40年ほど前、苦しみながら思いをつづった詩が今年、平和宣言に使われた。「戦争を考える糸口の一つになれば」。そう願う。

 長崎県長与町の山口カズ子さん(91)。17歳の時、勤め先の三菱兵器大橋工場で机に向かおうとして、強い光を受けた。崩れた建物からはいでると、外は一変していた。迫る火の手、暗い空。髪が逆立った人、頭から血を流した人。顔と両腕にやけどを負い運ばれた救護所で、自宅がある町で助かった人はいないと聞いた。希望を捨てたくなくて、誰にも家族の安否は尋ねなかった。

 幾千の人の手足がふきとび/腸わたが流れ出て

 人の体にうじ虫がわいた/息ある者は肉親をさがしもとめて

 死がいを見つけ/そして焼いた/人間を焼く煙が立ちのぼり

 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた

山口さんの詩に込めた思いと、詩の全文を紹介します

 秋ごろ、身を寄せた伯母に告げ…

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment