上野はパンダ、パンダは上野…いつから 双子の成長と考える長い歴史

 上野動物園東京都台東区)で双子のパンダが誕生してから3カ月。10月にはいよいよ名前が発表される。これまでも上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれると、上野の街全体が喜びに沸き、街をあげて成長を見守ってきた。上野とパンダ、一体いつからそんな関係が始まったのだろう。(本間ほのみ)

 今月23日で生後3カ月となったオスとメスの双子のパンダ。2頭とも体重は5キロを超え、体長は60センチ近くに。左下に犬歯も生え始め、メスは左上に臼歯も生えてきたという。20日に園で撮影された89日齢の双子の映像をみると、「クークー」と鳴きながら動き回ったり、2頭でくっつき合ったりする様子が見られた。上野動物園によると、ミルクの時間以外は寝て過ごし、起きている時間は元気に動いているという。

 同園で初めてとなる双子の誕生に、上野の街は沸いた。松坂屋上野店は「祝 赤ちゃんパンダ誕生おめでとう」と書かれた長さ18メートルにもなる懸垂幕を正面入り口に掲げ、店内も垂れ幕で装飾。老舗西洋料理店「上野精養軒本店 グリルフクシマ」は、誕生を記念した特別デザートを考案し販売するなど、多くの店がオリジナルのパンダ関連商品を用意し、祝った。

 松坂屋上野店の担当者は「パンダが生まれれば街がパンダ一色に盛り上がる。上野にとって顔であり、街をつなぐものです」と話す。それぞれの店が示し合わせたわけではないのに、パンダの装飾で街が染まる。「パンダが街の結束力を高めていると感じる」という。

パンダブームで「かんじんの見物も50秒程度」

 上野とジャイアントパンダの「出会い」は、およそ半世紀前にさかのぼる。

 1972年10月、日中国交正常化の象徴として、オスの「カンカン」とメスの「ランラン」が上野動物園にやってきたのが始まりだ。一般公開が始まった同年11月5日の様子を伝えた6日の朝日新聞東京本社版の朝刊には、「ぜひパンダを、という熱心な人たちは約1万8千人。徹夜組もふくめて早朝から長い行列をつくった。(中略)2時間以上は待たねばならず、かんじんのパンダ見物も50秒程度」と記され、パンダブームを巻き起こした。

 14年後の86年。園で2頭目となるパンダの赤ちゃんが誕生。「上野松坂屋は、赤ちゃん誕生のニュースで、直ちに用意の『おめでとう、上野動物園パンダの赤ちゃん誕生』の大垂れ幕。午前10時の開店と同時に、全館あげて2週間の『おめでとうセール』に突入」(同年6月2日の朝日新聞東京本社版の朝刊)とあるように、今に通じる街全体のお祝いムードがあったことが分かる。この赤ちゃんの名前が「トントン」と決まったときには、上野松坂屋は号外を作り、買い物客に配ったという。

 そんな上野とパンダの縁に危機が訪れたのが2008年。1992年に来園したリンリンが死に、36年ぶりに上野からパンダがいなくなる事態に。そこで立ち上がったのが、上野の商店街の店主たちだった。上野観光連盟は地元の子どもたちが描いたパンダの絵やメッセージを見せ、東京都に対し「パンダ復活」を求めた。そのかいあってか、2011年にシンシン(メス)とリーリー(オス)の2頭が中国からやってきた。2頭の来日を控え、「オール上野態勢で迎える」と、商店街の店主らは「うえのパンダ歓迎実行委員会」を作るなどして準備を進めた。

 こうしたなか、17年にシャンシャンが生まれ、今年は双子のパンダが誕生した。

 特に今回はコロナ禍の中での誕生だったことに、上野観光連盟の理事長二木忠男さん(68)は「パンダは明るさを持ってきてくれる平和の使者で希望の星」と話す。街はコロナ禍の影響で国内外の観光客が大幅に減った。「生まれた時、名前が決まった時、公開された時。上野は3段階で盛り上がる」と二木さん。「パンダがいてこそ、上野の発展はある」。これからも街とパンダの歴史が続いていくことを願っている。

上野動物園のパンダと日本社…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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