下手だった祖母の中国語 残留婦人の隠されていた苦労

 さいたま市の巻口清美さん(55)は、中国残留邦人の体験を伝える「戦後世代の語り部」として活動している。語るのは、76年前の敗戦前後の混乱の中、中国残留婦人となった祖母・シズさんの生涯だ。祖母の人生にそれほどの関心はなかったが、2007年、思いを変えた。きっかけは、前年に93歳で亡くなった祖母が残した手記との出会いだった。

 《自分の過去を考えるとくやしくてなりません。けれど自分にあたえられた運命と自覚しております》

 祖母・シズが広告の裏に書きつづっていた手記の一節だ。

 シズは新潟県柏崎市の貧しい家庭に生まれた。12歳のころから繊維工場で働き、21歳で結婚。夫は和装小物の卸販売店を営んでいたが、満蒙開拓に夢を抱いた。1942年、父親の反対を押し切って、3男2女を連れて一家で中国東北部に渡った。慣れない地で三男が死亡したが、シズは農作業に精を出しながら2男を出産した。

 戦況が厳しくなった45年8月初め、夫は根こそぎ動員で応召。まもなく旧ソ連軍が参戦して敗戦となり、混乱の中、シズらは逃げ惑った。途中で下の2人の子どもが息を引き取った。

 5~10歳の4人の子どもを抱え、食べるものにも困った。生きるために、シズは貧しい季節労働者だった中国人男性と結婚した。

 53年、日本への集団引き揚げがあった。18歳になっていた長男が「みんなで日本に帰ろう」と誘った。ほかの3人は「母が帰るなら帰る。母が帰らないなら帰らない」と言った。

 シズは手記にこう書く。

 《私の心はくるいそうです。5人の命を助けてもらった中国人の夫には、どうして話してよいのか。彼との間に2人の子どもも生まれていたのです。5人の命を助けてもらった恩人と子ども2人をすててどうして帰れましょう》

元夫の死「何のためにこんな運命に」

 結局、長男がひとりで日本に戻…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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