関門海峡を望むコンベンション施設「海峡メッセ下関」(山口県下関市)に少しずつ、黒い喪服姿の人々が集まってくる。
秋空のもと、その列が4メートル、5メートルと伸びていく。
15日午後2時。安倍晋三元首相がかつて支持者の集会などでよく訪れたこの施設で、県民葬が始まった。会場となったホールの広さは2千平方メートル弱。国葬があった日本武道館と比べると狭く感じるが、そこに県内外の政治家や経済界の重鎮らが集まった。
静かに、式が進む。細田博之衆院議長らの追悼の辞に続き、献花。
喪主である妻の昭恵さんは白い菊の花を手向け、祭壇の遺影をじっと見つめた。
「本当にこれが最後なのかなと思って、私はこの県民葬が終わると気が抜けてしまうのではないかな」
10分にわたるあいさつで、昭恵さんはそう話した。
およそ3カ月前だった。
7月8日昼、山口市内で取材先に向かっていたところ、山口総局のデスクからメールが届いた。
「安倍晋三氏が奈良で撃たれた」
すぐには信じられなかった。車内でニュースを確認すると、安倍氏が撃たれた瞬間の映像が繰り返し流されていた。
山口総局の前田健汰記者は銃撃事件の発生直後から、安倍晋三元首相の地盤である山口、下関で取材を続けてきました。追悼ムードから空気が変わる街の様子と、国葬や県民葬当日の市民の動きを追い続け、それでも残った「しこり」についてルポします。
安倍氏の支援者で、いぜん取材したことがある70代の女性に急いで電話をかけた。いつも通り、のんびりとした声。まだ事件を知らないようだった。
山口に広がった衝撃と涙、そこから一変した空気
テレビで確認してもらうと、息をのむ様子が電話越しでも伝わってきた。3秒ほど静寂が流れた後、「大変」と3度繰り返した。
少し落ち着いてから、「桜を…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル