「ひこばえ」連載を終えて 重松清(寄稿)
大切な人が亡くなったり遠くに行ってしまったりしたときに、よく「胸にぽっかりと穴が空く」と言われる。その「穴」を描きたかった。より正確に言えば、自分の胸に穿(うが)たれた「穴」と共に生きていく還暦間近のオヤジのお話を読んでいただきたかった。それは、50代後半になり、大切な身内や友人を何人か喪(うしな)ってきた自分自身にとって、最も切実な主題の一つだった。
長らく音信不通で記憶も薄れていた父親が、ある日突然、遺骨となって息子の前に現れる――。『ひこばえ』はそこから始まる。しかし、物語は、おそらく多くの人が望んでいたようには進まなかった。
これは、知らなかった父親の人生を息子が探る物語ではない。頁(ページ)をめくるにつれてジグソーパズルが完成するように父親の姿が立ちのぼる、というお話でもない。そういう展開を期待していらっしゃった読者の皆さんにはお詫(わ)び申し上げるしかないだろう。
それでも、主人公の胸にぽっかりと空いた「穴」を謎解きの形では埋めたくなかった。わからないことはわからないままでいい。見えないところは見えないままでかまわない。不在の父親が空けた「穴」そのものの形を描きたかった。息子にずっとなれずにいた(だからこそ、父親にもうまくなりそこねていた)男が、もう会えない父親という「穴」の存在を認めることで、ようやく息子になる。そういうお話を読んでいただきたかったのだ。
本作は『流星ワゴン』と『とんび』という作品と同じカテゴリーになる。少なくとも、作者としてはそう位置付けている。いずれも父親と息子の関係を描いたお話で、ストーリー以前の根っこの根っこの部分に、自分自身の父への思いが息づいている三作でもある。
その父は、2016年に他界した。父の死後初めて挑んだ父親と息子のお話になる『ひこばえ』は、「いなくなった人と共に生きていく」ことを自らに問う物語でもあったのだと思う。
挿画の川上和生さんをはじめ、連載を支えていただいた関係各位に感謝する。もちろん読んでくださった方々には最大級の謝辞を。愉(たの)しんでいただけたなら心底うれしいのだが、ここから先はもう、作者がモノを言うことではあるまい。(重松清)
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重松清さんの小説「ひこばえ」は、連載を終了しました。
2019年10月15日まで、朝日新聞デジタルで全編お読み頂けます(有料会員限定)。
16日以降は連載1回目から順次、公開を終了する予定です。
『ひこばえ』の単行本は朝日新聞出版から2020年3月に刊行予定です。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル