中国地方は古代から「中枢」だった 磯田道史さん、古代からひもとく

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構成・神崎卓征

 中国地方は古代から、あらゆる面で「キングダム」だ。権力の中枢が東京に移った後も、岡山、広島、山口、鳥取、島根の5県には「王国」と呼ぶべき魅力や文化が詰まっている。国際日本文化研究センター教授の磯田道史さんに、歴史家の目からひもといてもらった。

いそだ・みちふみ 1970年、岡山市生まれ。国際日本文化研究センター教授。専門は日本近世史。著書に「武士の家計簿」「歴史の読み解き方」「無私の日本人」など。テレビの歴史番組も多数。

 中国地方の「中国」は古代に生まれた概念です。当時は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する伊都国があったとされる九州北部が大きな勢力で、大宰府が置かれ、都は奈良の大和盆地にありました。その真ん中にあたる地域が「中つ国」とされたのです。

 中国地方は「中間」ですが、「中枢」でもありました。まだ砂鉄を鉄材にする技術が日本国内になかったころ、中国地方は大陸からの鉄材を運ぶ重要なルートでした。この一帯の豪族は協力しないと、生産が成り立たないので、小さなクニの広域連合が生じました。内部の勢力として、島根の出雲と岡山の吉備という二つの大きな渦巻きの中心がありました。

関西弁が兵庫県より西に来なかったのはなぜ? 記事後半では、中国地方の今の魅力を磯田さんが存分に語っています。

 平安時代になると、大陸に先…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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