「ドクター・サーブ・ナカムラ・ワズ・シューティッド(中村先生様が撃たれた)」。アフガニスタン人スタッフの現地なまりの英語は震えていた。 【写真】アフガニスタン人スタッフと話す藤田千代子さん。後方に中村哲医師の姿も 昨年12月4日正午前。中村哲医師と共にアフガン復興を支援してきた非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の藤田千代子さん(61)は入院中の母を見舞うため、鹿児島県の実家にいた。現地の事情に詳しく、アフガン側との連絡や調整を担う。中村さんの傷は浅く、命に別条はないという。「とにかく先生の声を聞かせて」。福岡市の事務所に向かった。 「血圧が下がっている」「別の病院に搬送されることになった」。現地からの知らせは悪化の一途をたどった。夕刻、スタッフが泣き叫びながら死去を告げた。「不測の事態はいつも頭のどこかで想定していたけれど、信じられなかった」。鹿児島湾を渡るフェリーの通路に崩れ落ちた。 2日後、遺族と共に現地で中村さんと対面した。「顔色が良くないな」。見当違いの心配をした。実感が湧かないままに慌ただしく帰国。福岡県の自宅に戻ったひつぎの前で、来日した現地スタッフたちと誓った。「今後もやっていきます」 葬儀を終えてから、しばらく休んだ。どこで何をしていたか、ほとんど記憶がない。覚えているのは現地から何本も電話を受けたこと。「守れなかった」との謝罪、尽きることのない思い出。アフガン人たちの話を聞き、一緒に泣いた。 藤田さんは30年以上、看護師として、秘書役として共に働いてきた。大きすぎる柱を失いながら事業を守ってきたこの1年。「あったのは、やるしかない、という気持ちだけでした」
「鬼婦長」それでも前へ 失った大黒柱、皆が代役
メールを開いた途端、思わずうめいた。「先生、生きていてくだされば」。故中村哲医師と共にアフガニスタンで用水路建設を続けてきた福岡市の「ペシャワール会」事務局。4月、現地から届いた取水堰(ぜき)の設計図を、藤田千代子さん(61)はぼうぜんと見つめた。 図面は、中村さんが生前に示していた計画とは全く異なっていた。川から水を引き込む堰の出来は、用水路全体の安全に直結する。現場は「狂った川」とも呼ばれるアフガン東部のクナール川。届いた図面は粗削りで、さらなる氾濫を招きかねなかった。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース