元サッカー日本代表として、W杯3大会連続出場に貢献した中田英寿さん(44)。現役時代、「孤高の人」とも言われた彼は引退後、世界と日本国内をめぐって、日本酒の蔵元や伝統工芸の作家らと信頼関係を築き、現在は伝統産業の「改革者」として活躍しています。その中田さんにとって、仕事とは、旅とは、人生とは――。中田さんがその信念を語ります。
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旅に出た理由は
――引退後、なぜ旅に?
サッカーが仕事になったのは、子どもの頃から好きなことをやり続けた結果でした。やめた後、次にやることを決めるために、好きなことを探さなければならない。そのためには、自分が何に興味があり、何をやりたいのかを知る必要がある。それまで海外に行っても、ホテルとスタジアムの往復だけということが多かったので、まずは海外を旅することにしました。
これまで100カ国以上行きましたが、偏見を持たず、色んな角度で物を見るよう心がけた。それが僕にとっては、肌感覚を持つ、世界を知ることにつながると考えたからです。
途上国といわれるような地域には、インフラが整っていないからこそ、色んな工夫や仕組みがあり、独自の発展がある。興味深く感じました。
――それから、47都道府県をめぐる旅へ。
海外では自分は日本人として扱われ、日本のことを度々聞かれる。その中で、日本のこと、日本文化をもっと知らなければならないと感じました。「文化」の定義を考えたとき、人々の一定期間続く、一定の行動で、それを細かく切ると、日々の生活になる。食べたり、飲んだり、つくったりすること。それが長い年月続けば、伝統産業に発展する。毎日の生活の積み重ね、つまり、地域で長く続く生活習慣、伝統産業こそが文化になるということでした。
そして、そういう情報はオンラインにはなかなか出てこず、現地に行かなければ分からない。それこそが価値なのではないかと思い、2009年に、南から北へ旅を始めました。
――理屈から入って、手法を決めていくんですね。
考えているようだけど、実はそうでもなくて、それを決めている時には感覚で、あとで振り返って、結果、そうだったということが多いです。だから、僕は自分の感覚をすごく大切にしています。ただ、感覚も訓練しないと養われないと思っている。
――子どもの頃からそうでした?
頑固で、自分の意見を持ってい…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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