事故から12年後に里帰りした元町職員 未練断ち切った「けれど…」

 浦島太郎とはこういうことを言うのか――。12年ぶりに戻った古里の景色は一変していた。「ここまで変わってしまうのか……」。時を戻したいと思った。あの事故が悔しかった。

 見慣れた建物は多くが取り壊されていた。更地には草が生い茂り、福島の沿岸地域「浜通り」特有の強い風に揺れていた。

 自宅の天井や床は腐って抜け落ち、家族だんらんの時を過ごした空間の面影はなかった。台所は動物に荒らされていた。

 東京電力福島第一原発がある福島県双葉町。ここで生まれ育った元町職員の桑原達治さん(59)は今年3月半ば、町を訪れた。

 わが家は近く取り壊されることが決まっている。それまでに来られるのは最後かもしれない。町内への立ち入り制限が緩和され、コロナ禍が落ち着いた今、思い出の詰まったものを少しでも持ち帰りたかった。

 自室には、先に一時帰宅した弟たちがまとめてくれた荷物が積み上がっていた。その一角に、マラソンや駅伝の大会を録画したVHSテープがあった。

 桑原さんはかつて、長距離ランナーだった。地元の県立双葉高校で本格的に陸上を始めた。進学した専修大学では、1年生から3年連続で箱根駅伝も走った。

 卒業後は地元に戻って町役場で働きながら、フルマラソンにも挑戦。「練習を兼ねて、町民への配達物を走って届けたこともありますよ」

 手に取ったのは「福岡国際マラソン」と書かれた1本のテープ。2時間23分25秒の自己ベストを出したレースだ。練習で使っていたサングラスや、かつて日本の長距離界を引っ張った双子のランナー、宗茂・猛兄弟の著書とともにリュックにしまった。

 人生をかけて打ち込んだ思い出を、手元に置いておきたかった。

 役場の同僚たちと行った慰安旅行や、役場前で撮った集合写真も出てきた。目を細め、懐かしそうに眺める。「みんなでよく酒を飲んで、いろんな話をしました。あのときは楽しかったなあ」

 ランニングシューズや大学時代のジャージー、地元で受け継がれてきた神楽で使っていた笛……。持ち帰りたいものはまだまだあったが、「きりがないんで」。未練を断ち切るように、自宅を後にした。

「袋だたきにあうのでは」、父は県外避難をためらった

 東日本大震災の4年前、脳内出血で倒れ、左半身が不自由に。2011年3月11日の震災発生時は、リハビリのため休職していた。

 散歩から自宅に戻ったとき…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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