「終(つい)のすみかに」と東京から栃木・那須高原に引っ越した。朝の日差しを浴びて小鳥のさえずりを聞き、土道を踏みしめる。1時間の散歩が楽しみだった。そんな穏やかな日々を新型コロナ禍が遠ざけた。
タレントの高木美保さん(58)は1998年秋、栃木県那須町で両親と暮らし始めた。別荘が点在する農村地域。趣味の農業を楽しみ、東京にも生活の拠点を置いて仕事を続けてきた。「私の場合は、移住というよりは2地域居住ですね」
だが、昨年4月からは那須の自宅に足を運べず、東京暮らしが続く。首都圏で新型コロナが急速に広がったためだ。「両親にウイルスをうつしてはならない」。仕事がある東京から離れられなくなった。
東京での朝の散歩の景色は、那須とはあまりに違う。7時半にはすでに車が走り、街はせわしく動き始めている。緑の中を歩く時の穏やかさが感じられない。「那須での朝の散歩は気持ちよかった。癒やしをもらっていたんだと、帰れなくなって実感しました」
東京での生活が長引き、体調が優れないと感じる日も増えた。「散歩や野良仕事で気分転換ができていたんだと思う。生活にメリハリがあったんですね」
若いころから芸能界で活動し、多忙と不規則な生活にストレスを感じていた。そうした環境と少し距離を置くため、「いつか田舎暮らしをしたい」との思いはずっとあったという。
最初から那須に住むと決めてはいなかった。那須に引っ越す直前の2月、テレビの気象情報で「北関東の山沿いは雪」という言葉を聞いて、かつて夏に那須の貸別荘に行ったことを思い出した。田舎暮らしの場として興味はあった。とにかく友人と新幹線で那須に向かった。
「気候が厳しい時期を見ておかないと暮らすのは無理」と常々考えていた。車で町内の別荘地を見て回った。雪深かったが、「生きていける」と思った。
田舎暮らしの条件は、東京へのアクセスの良さだった。候補地の近くにはバス停があり、隣の那須塩原市には東北新幹線が止まる。「年を重ねて運転免許を返納しても、近くにバスが1時間に1本通れば十分だと思ったんです」
高木さんの畑の広さは200平方メートル。コロナ禍前までは、家族とトマトやナス、キャベツを作っていた。畑も以前は6倍以上もあり、1千平方メートルの田んぼで稲作もしていた。
「土の種類には酸性もアルカリ性もあり、適した作物も違う。2年ぐらい試行錯誤してようやく収穫できました」。除草剤を使わず、有機肥料による自然な農法にこだわってきた。
20年余の田舎暮らしは決して癒やしと充実感ばかりではない。将来への不安も募らせてきた。
「両親は同年代の友達がいるけれど、私の周りには同世代の人がなかなかいなくて、友達を作るのが難しい。いつか孤独になるのでは、という思いもある」
周囲に空き別荘がずいぶん前から増え、人の気配が薄まっている。コロナ禍が収束しなければ、東京に生活の軸を置き直すことも考え始めている。
コロナ禍で都市から地方への移住や2地域居住に関心が高まっているが、「向き不向きがあると思います」と高木さん。高齢になっても住み続けられるか。友達はできそうか。実際に住まないとわからないことは多い。コロナ禍のように思いがけない「誤算」もある。「もし田舎暮らしを始めるならば、体が動く若いうちがいいですね」(池田拓哉)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル