東京五輪の競技が始まった21日。サッカー女子の試合が行われた宮城スタジアム(宮城県利府町)のスタンドに、横断幕が広げられた。「Thank you for your support JAPAN is moving forward with HOPE」。支援をありがとう、日本は希望とともに進みます――。
掲げたのは、千葉県柏市の靴屋、角田寛和さん(58)。「ちょんまげ隊長ツン」と名乗り、その名の通りの格好で2008年の北京五輪から、五輪とサッカーW杯の現地観戦を続けてきた。
宮城とのつながりは、2011年にさかのぼる。
3月11日。
SNSで流れてくる被災地の現状に、いてもたってもいられなくなった。履く靴がないという声を聞き、約600足を車に詰めて、宮城県の塩釜市や名取市、岩沼市を巡った。
避難所になっている学校の校庭に、ぼんやりと座っている小学生たちがいた。「道化になれたら」という思いでかぶっていたちょんまげに、子どもたちが集まった。なかの一人が、ちょんまげを奪ったまま、なかなか返してくれない。帰ってほしくないのかと思い、涙が出た。「返してよ。大丈夫、また来週来るから」と気づいたら口にしていた。
約束が次の約束につながり、それから3~4カ月間は毎週末、その後は月に1回のペースで東北に通いつめた。避難所の要望を聞きながら扇風機や洗濯機などを届け、訪問は10年間で150回を超えた。
11年の年末のことだ。
宮城・牡鹿半島の子どもたちを地元のJリーグチーム「ベガルタ仙台」の試合に連れて行くバスツアーを企画した。
参加したのは親子約30人。行きは興味がなさそうにしていた子どもも、帰りの車内ではすっかり笑顔になっていた。津波で妻と息子を亡くした男性が去り際に「すごく楽しかった」と言ってくれた。スポーツには人を元気にする力があると強く感じた。
海外のスポーツチームなどから被災地に寄せられた支援やメッセージに感謝の思いを示そうと、翌12年に日本で開かれたサッカー女子U20W杯の会場で、横断幕を掲げた。英語やスペイン語、ポルトガル語、ハングル、中国語……。取り組みは海外にも発信されたという。「スポーツを通じてエールを送り合える。これが国際交流かと感じた」
スポーツを通じた国際交流に思い入れがあるのは、もう一つ理由がある。
初めて五輪を生で見た08年…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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