栃木県那須町で2017年3月、登山講習中だった県立大田原高校山岳部の生徒7人と男性教諭1人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故から、27日で6年が経った。同校2年だった兄、浅井譲さんを亡くした千鶴さんはこの3月、事故当時の譲さんと同じ17歳になった。「同じ年齢になって、わかったことがあります」。千鶴さんは今の思いを兄あての手紙の形でつづり、朝日新聞に寄せた。
栃木県那須塩原市にある自宅の譲さんの部屋に、一つの箱が残されている。中には、「妖怪ウォッチ」のシールや山岳部で登ったこともある富士山の写真。大切にしていたものが詰まった、さながら「宝箱」だ。
その中で一番多かったのが、封筒や手紙だった。
送り主は、事故当時小学5年だった千鶴さん。小学3年のころから、土日の夕飯の後などに家族に手紙を書いて渡していた。そんな一つひとつを譲さんはしまっていた。
妹思いの兄だった。遊んでとねだると、つきあってくれた。近くの公園で野球をしたり、自宅の庭でバドミントンをしたり。千鶴さんはそんなとき、手紙でお礼の気持ちを伝えた。ふだん返事はなかったが、ねだって泣くと「ピアノも水泳も頑張っていてすごいね」などと書いてくれた。
雪崩事故から6年になるのを前に記者が取材を申し込むと、千鶴さんは兄あての手紙の形でつづった文面を寄せてくれた。
「私は今高校生で、日々悩みながらも多くの友達と楽しく生活しています。きっとあなたもそうであったでしょうね」
「突然予告なしに人生が終わったらどれだけ悔しいか。あなたの無念や恐怖が今ようやく少しわかったような気がします」
千鶴さんは4月から高校3年生。夢は、得意な英語をいかし、通訳や国際的な仕事で活躍することだ。兄はきっと、応援してくれると思う。
「あなたの代わりになることはできないけれど、あなたに私のこれからの歩みを見守ってもらうことはできる。とりあえず、私は今を精いっぱい生きます」(吉田貴司、岡見理沙)
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〈那須雪崩事故〉2017年3月27日、栃木県那須町のスキー場のゲレンデ近くで行われていた県高校体育連盟の登山講習中に雪崩が発生。参加した県立大田原高の山岳部員7人と教員1人が巻き込まれて死亡、他校の参加者を含め40人が負傷した。宇都宮地検は22年2月、講習会の責任者ら3教諭を業務上過失致死傷罪で在宅起訴し、宇都宮地裁で刑事裁判が続いている。また一部の遺族は3教諭や県、県高校体育連盟に損害賠償を求める民事裁判を起こし、同地裁で6月28日に判決が言い渡される予定。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル