6年前の熊本地震の本震で、宮崎さくらさん(43)=熊本県合志(こうし)市=は次女を亡くした。数年後、長女の言葉をきっかけに、家族を失った子どもにはケアが必要だと感じた。同じ思いをさせたくないと、模索を続けている。
16日午後、宮崎さんは熊本市民病院で花壇を手入れしていた。3年前に植えたフランス菊が満開だった。
次女の花梨(かりん)ちゃんは先天的な心臓病で、2016年1月、この病院に入院した。4月16日の本震で建物が被災し、福岡市内の病院に転院。直後に容体が急変、5日後に亡くなった。4歳だった。8月、災害関連死と認定された。
近所のスーパーに行くと、よく一緒に来ていた花梨ちゃんを思い出し、涙があふれた。道を歩いていて同じ年頃の子を見かけると途端におえつが止まらなくなった。亡くなる前と変わらずにいようと、好きだったギョーザを花梨ちゃんの分も作ったが、誰も食べずに残っているのを見て、苦しくなった。
誕生日も毎年祝った。「ろうそくの火を全然消せなかったよね」。2年ほど経つと、昔を思い出し、家族と少しだけ笑って話せるようになった。通うはずだった小学校に、ランドセルと遺影を持って校門前まで行った。
地震から3年ほどが経ったころ、長女の柑奈(かんな)さん(12)が突然、後悔を口にした。「花梨に意地悪をしちゃった」
花梨ちゃんを病院から熊本に連れて帰る時。着せる服がなく、当時6歳だった柑奈さんに服を貸してあげてと頼むと、「お気に入りだから嫌だ」。「なんであのとき貸してあげなかったんだろう」。うつむき、つぶやいた。
あの日以来、悩んだり、落ち込んだりしているのを見たことがなかった。いつも元気に学校に通っていると思っていた。でも祖母の前ではたくさん泣いていたと、後から聞いた。
自分を責める柑奈さんに「誰も悪くないよ。それは花梨も分かっているよ」と声をかけた。質問や助言は一切せず、ひたすら「そうだね」と応じた。つらい過去との向き合い方は、人それぞれだと思ったからだ。柑奈さんは話すことで落ち着いたのか、後悔の言葉が減り、笑うことも増えた。
宮崎さん自身、子どもを亡くした親同士が集まる会に参加し、少し気持ちが和らいだことがあった。家族を亡くして苦しむ子どもを減らしたい。昨年4月21日。花梨ちゃんの命日に、家族を亡くした子どもの心のケアをする会、「つむぎ」を立ち上げた。
今年3月、折り紙で花を作るワークショップを開いた。訪れた母と娘は数年前、幼い息子を亡くしていた。母親は、今も受け入れられない苦しみを語り始めた。娘とは一緒に折り紙を作ったが、何も話してくれなかった。会場に来たのは、この親子だけだった。
子どもと信頼関係を築き、胸…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル