2013年11月、自民党と公明党は復興に向け、除染や中間貯蔵施設の建設に国費の投入を求める提言をまとめた。これを受けて政府は、それまで東電に原則任せてきた対応を転換。中間貯蔵施設の建設も、決着に向けて動き出した。
提言のとりまとめで中心的な役割を担ったのが当時、自民党復興加速化本部長を務めていた大島理森氏(76)だ。大島氏はその後、中間貯蔵施設の候補地となっていた双葉町、大熊町、楢葉町の3町長らとの交渉にあたり、受け入れ自治体への交付金の差配でも重要な役割を果たしたとされる。22年2月、東京都内で話を聞いた。
――2013年11月、自民、公明両党が中間貯蔵施設に対する国費投入を政府に提言しました。民主党政権下では、東電が基本的にはすべて負担する考えをとってきたことを見れば、大きな方針転換だったと言えます。国が前面に立つシナリオはどうできあがったのでしょうか。
「民主党政権の状況を見ていて、総理の言動も含め、東電を悪者にするというか、すべては東電の責任ということが第一義にあるように感じていました。政権復帰し、復興加速化本部長を仰せつかった時、原子力発電を国策として進めた政治の責任があると考えました。私自身が原発推進を言ってきた責任もある。さあ、東電、おまえたちだけでやれということだけでいいのか。国がしっかりとコミットをし、この問題を乗り越えていかなかければならないという思いがありました」
――民主党政権では何が足りなかったのでしょうか。
「たとえば中間貯蔵施設の問題では、(福島県内での設置)場所すら決めていなかったし、具体的にどう処理していくのかがなかったような気がします。現実的な結論を得るために、被災地との真の対話があったのだろうかとつくづく感じました」
――双葉郡の首長は大島さんと何度も交渉を重ねたとインタビューでは答えています。国が前面に出たことで、地元自治体との対話の感触は変わりましたか。
「国が前面に立つということは、ふるさとを失っているみなさんに、まずはお話をいただき、思いを聞くこと。双葉郡のもっとも被害を受けたみなさんは、ふるさとを離れて避難をし、福島県内外で役所を構えている。その苦しみ、いたみを全部わかれと言ってもわからないかもしれないけれども、やっぱり共有することから始めなければならないだろうと思いました。したがって、何度も何度も、その町村長あるいは議会の皆様方と話し合いをさせていただいきました」
――中間貯蔵施設の場所は当初、双葉、大熊、楢葉の3町だったのが二つの町に集約されます。その経緯は。
「あそこは確か、境界線が非常に入り組んでいるんです。たとえば、楢葉に(施設を)造っても、(隣の)富岡を通って持っていかなければいけないような地形ではなかったか。楢葉の町長には地勢的なことも含め、複雑な感情もあったと思います」
――政治的判断だった、ということですか。
「楢葉町長は断ったんです…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル