人が消えた町、自力で生きたダチョウ 衝撃の姿のその後

 東京電力福島第一原発の事故直後、警戒区域(原発から半径20キロ)は立ち入りが禁止され、残された家畜やペットが野生化していった。街中を歩き回る牛や豚。その中でも大きな衝撃を与えたのがダチョウだ。その後、どうなったのだろうか。

 「え、なんでこんなところに?」

 事故から半年を過ぎた2011年9月23日、経済産業省の廃炉汚染水対策官、木野正登さん(50)は、避難で住民がいない大熊町の民家の庭先で、1羽のダチョウが家の中をのぞき込む光景を目にした。

 この日は、住民の一時帰宅で、兼務する政府の原子力災害現地対策本部の職員として墓参りに同行していた。ダチョウを見たのは、帰りに同僚3人と車で移動していたときだった。

 木野さんは警戒区域で犬やネコを見るたび、「一人ボランティア」として、車に常備していたドッグフードをあげていた。「ダチョウも食べるかな」と車の窓を開けてパラパラとまいたところ、寄ってきてムシャムシャ食べたという。

 のちに、ダチョウは第一原発から約7キロ離れた大熊町内のダチョウ園から逃げてきたものだとわかった。元双葉町議の富沢俊明さん(81)が01年に観光地にしようと開園した施設だ。

 オープン当初は9羽だったが、その後30羽に増え、ダチョウ料理を出す食堂もつくった。その矢先に起きたのが原発事故だった。

 富沢さんはダチョウを残し、埼玉県の娘の自宅へ避難した。3カ月後、園に戻ると半数以上が死んでいた。その後も何羽か死に、残る10羽ほどが逃げ出したとみられる。

野生化したダチョウの体内には、放射性セシウムが見つかりました。研究対象となるまで、そして今の富沢さんの思いを追います。

 その後、野生化したダチョウが…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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