人の流れ激変 「柱」探る県都 山形唯一の百貨店「大沼」自己破産から間もなく2カ月(産経新聞)

 山形県の百貨店「大沼」が経営破綻してから間もなく2カ月。全国の都道府県で唯一、日本百貨店協会加盟の百貨店が無くなり、県内最大の山形市中心市街地には寂しさが漂う。消費者の購買行動が変わる中で生じた大沼の消滅は、山形市にとっては中心的存在の喪失だった。

 ■負債30億円

 大沼は1月27日に約25億円の負債を抱え自己破産した。従業員190人は即日解雇、テナントの従業員280人も大沼の職場を失った。元従業員らは再就職など生活の再設計を迫られている。解雇にともなう退職金を合わせ負債は約30億円になる見込みで、6月18日に山形市民会館で債権者集会が開かれる予定だ。

 大沼のテナントで10年以上働いた女性(69)は「大沼はやる気のある社員が次々辞め、モノを売る力が無くなっていた。テナント頼りで、社員はレジ打ちが仕事。こんなことで、もつか疑問だった」と明かす。

 ■郊外に大型商業施設

 JR山形駅から大沼の山形本店があった七日町までの道のり約1・5キロには、かつて大型店が10店近くひしめき、県内最大の中心市街地だった。

 昭和40年代に大沼で働いていた男性(70)は「当時は飛ぶようにモノが売れた。レジの下に置いた段ボールにお札を次々入れていた」と、紙幣が飛び交う売り場を懐かしそうに振り返る。店は人であふれ「家族で大沼の屋上遊園地で遊び、食堂でカツ丼を食べ、クリームソーダを飲むのがステータスだった」という。大沼のバラの包装紙で包んだ贈答ができるようになれば「一人前の大人になった」と褒められた。

 だが、平成に入ると郊外に大型商業施設が相次ぎ出店、交通インフラが整備されたことで買い物客が仙台市へ流出するなど人の流れが激変し、経営が悪化。

 七日町でスーパーを経営する多田儀彦さん(49)は「10年ほど前から街に買い物客が来なくなった。魅力ある店舗もなく駐車場代もかかり、これでは人は来ない」とみていた。

 平成30年4月に東京の投資ファンドが再建に着手したが経営は混乱。最後の大沼社長だった長沢光洋氏は自己破産申請後の会見で「昨年10月以降、台風、消費税増税で売り上げが3割から4割落ち、一体何が起きているか分からないくらい…」と嘆いた。

 ■街に必要なもの

 人口25万人の山形市は昨年2月、山形駅から十日町、七日町までの127ヘクタールの中心市街地の活性化に向けグランドデザインを作成した。同年11月に実施した市民アンケートで中心市街地に欲しい店舗の1位は百貨店だった。だが現実は高層マンションの建設が相次いでいる。

 同市の佐藤孝弘市長は「アンケートは大沼がなくなる前のものだが、それでも市民は商業施設を望んでいると思う」と市民の声を代弁する。

 同町で呉服店を営む結城康三(やすぞう)さん(63)は、大沼の消滅を「中心的存在を失ったような感じだ」という。結城さんは、同町内で長年、暗渠(あんきょ)としてふさがれていた山形五堰の一つ「御殿堰(ごてんぜき)」を平成22年に市とともに再建。「旧来の商店街の発想を転換し、その場所に根付く歴史や文化を生かしたものにする。それが中心市街地の活性化につながると思うのだが」と話す。

 支柱的存在を失った街に答えはまだ見つかっていない。

【大沼】 元禄13(1700)年に荒物屋として創業。昭和25年に百貨店経営に乗り出した。昨年末時点で、日本百貨店協会に加盟する企業としては、松坂屋、三越に次いで3番目に古かった。売り上げのピークは平成5年2月期の約196億円。その後低迷し、31年2月期は約74億円。令和2年1月26日の営業終了後に山形本店など全3店舗を閉鎖し、翌27日に山形地裁に自己破産を申請、同日破産手続きの開始決定を受けた。

【記者の独り言】 人口減少に悩む全国の地方都市が最重点課題に挙げるのが中心市街地の活性化だ。郊外型大型商業施設の出店、インターネット通信販売による消費者の購買行動の変化などで、人の流れは激減している。そんな中でも山形市は中心市街地に高層マンションが建設中で、一定の需要増が見込まれていた。大沼が持ちこたえてくれていれば変わったかもしれない、という思いが残る。(柏崎幸三)

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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