半日授業を終えた昼過ぎ、生徒たちが続々と食堂に集まっていた。
長机といすを1カ所に寄せ、地べたに座り込む。60~70人はいただろうか。
1967年10月31日に行われた吉田茂元首相の「国葬」に際し、大阪府教育委員会は府立高校に半日休校とする通達をしていた。
国葬当日、これに反対する府立北野高校(大阪市淀川区)の生徒たちが集会を開いたのだ。
集まった生徒たちを前に、リーダー格の男子生徒が演説を始めた。
当時、高校3年生だった喜多幡佳秀さんは、1時間に及んだ演説を黙って聞いていた。意味はよくわからなかったが、仲間がいることに安心感も抱いていた。
集会では、翌日の授業をボイコットし、府教委への抗議行動をすることが決まった。
それまで無遅刻無欠席だった喜多幡さんは、胸の高鳴りを感じていた。
翌朝の集合場所は塚本駅の東口。だが、駅に着いてみると誰もいない。
喜多幡さんは勘違いし、反対…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル