差別や分断はどのように生まれ、なぜなくならないのか。長年、人種差別の問題を見つめてきた文化人類学者の竹沢泰子さんは、「社会的に作られた」考え方にこそ注意を促します。私たちは、なぜ何かを分類したり区別したりしてしまうのか。社会を前に進めていくには、どうすればいいのでしょうか。
たけざわ・やすこ 1957年生まれ。筑波大学助教授などを経て京都大学人文科学研究所教授。近刊に「アメリカの人種主義」。共編著に「人種神話を解体する」(全3巻)。
――なぜ、世界で差別が続き、分断が起きているのでしょう。
「いま起きている差別や分断には色々な種類がありますが、共通しているのは、現在だけを切り取っても理解できないことです。欧米での移民・難民をめぐる問題、グローバルサウス(主に南半球の発展途上国)の貧困や飢餓、環境破壊といった問題も、いまだけ、起きている空間だけを見ても理解できません」
「旧宗主国や先進国が、植民地主義やグローバル資本主義のもとで長年、労働力や資源を搾取してきたことが一つの要因です。私たちが捨てたゴミが輸出されたり、安い服が奴隷的な労働環境で生産されたりと、日本も無関係ではありません」
――人種による差別も、世界中で残っています。
「そもそも人間を、皮膚の色などの外見的な特徴で複数の人種に生物学的に分類できるとする考え方は、現在では科学的に否定されています。そうした特徴は人類がアフリカを出たあと各地の環境に適応する過程でできたもので、あくまでも人類は連続体であり、単純にいくつかには分類できないことが遺伝学や生物人類学などの発展で明らかになっています。能力・気質に関する特性が、世代から世代へと集団単位で継承されるというのは誤った考え方で、社会的に作られたものです」
――日本人は「黄色人種」ではないのですか。
「多くの日本人や東アジア人の肌が黄色だという認識も、近代以降に欧米から入ってきたものです。例えば1600年前後の南蛮びょうぶを見れば、日本人の女性や侍の肌は、南蛮人と呼ばれたスペイン人やポルトガル人より白く描かれています。他方、屋外労働者の肌は茶褐色で、ヨーロッパ人は衣服や髪、鼻や目の形で描き分けられており、肌の色が『ちがい』の指標ではありませんでした。宣教師たちもローマに『日本人の肌は白い』と報告しています」
「黄色いとされるのは明治以降です。ヨーロッパには『白』が善・清浄を、『黒』が邪悪・汚れを意味する用法が、すでに14世紀にありました。『黄色』には伝統的に、嫉妬深い・臆病・反逆者といったネガティブな意味があります。日本が欧米から受容した人種分類には、白人を最高位に、黒人を最下位に置き、その間に黄色を置くという差別的な序列があったのです」
「ですから日本人が『黄色』というのは、時間軸でも近代以降ですし、空間軸でも欧米から発信されたものに過ぎません。アフリカやアジアには、日本人や中国人を『白い』、ヨーロッパ系を『赤い』と認識する集団もあります」
――科学的とされていた人種分類は、どうできたのでしょう。
「啓蒙(けいもう)主義の時代のヨーロッパで始まりました。当時の博物学者たちは、あらゆるものを色や形、大きさで分類しました。しかし、人間の分類の方法や呼称には、ユダヤ・キリスト教の世界観と自民族中心主義的な考え方が反映されています。人種概念は、世界諸地域での先住民支配や、アフリカ人を使った奴隷制などの正当化に使われました」
――そもそも、なぜ私たちは物事を区別し、分類するのですか。
「人間は多種多様な情報を…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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