僧侶・高橋卓志さん
僕は今春、S状結腸がん手術の全身麻酔で意識を失った際、「疑似的な死」を経験したと思っています。実際は4時間半経っていたのに、感覚的には数秒。完全なるブラックアウトで、夢も見ない。術後、覚醒しきれない頭で「快い」と考えていました。
フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの著書「死を前にした人間」(みすず書房)に、こんな一文があります。「死は『麻酔状態を思わせる快さ』を持っているのに、聖職者と教会は、その快さを、異様で恐ろしいいでたちのもとに隠蔽(いんぺい)し、その性格をゆがめようとしている」
寺に生まれ、僧侶になって半世紀近く、僕は約4千人の葬儀をし、緩和ケア病棟でもうすぐ旅立つ人たちへ「死とはこういうもの」と説いてきました。仏教の「往生」もキリスト教の「復活」も、死後の世界の話です。でも実は何も存在しないんじゃないか、全てが喪失するだけなのでは――。これが疑似的な死で、率直に感じたことです。死が一人称に迫る今、「あちらの世界から見守りを」などと言い続けてきた自分の罪深さを思います。
僕は若いころから、たくさん…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル