今も「あの経験語らねば」 決意させた壮絶な一通の手紙

 「福井空襲は家も街も人も、全てを燃やしたんや」。田中文夫さん(84)=福井市=がそう語りながら、空襲直後の街の写真をプロジェクターに映し出す。20年以上、一人で続けている語り部の活動だ。

 小学校や公民館などで、これまで100回以上語ってきた。「誰かが戦争の悲惨さを語らないと、戦争について考えてもらえない。誰も考えないと、戦争が起こる。もう、戦争は繰り返したら絶対あかんのや」

 原点は、1945年7月19日夜の福井空襲の体験。小学3年生だった。

 「ウー」。耳を刺すような空襲警報で目を覚ました。母と姉弟は寝ている。目をこすりながら玄関扉を開けると、近所の寺が燃えていた。「これが戦争か」。とっさにそう思った。

 「母ちゃん、(街が)燃えてる!」。母を揺り起こした。水かめに毛布を漬け、家族全員でかぶった。外は焼夷(しょうい)弾で昼のよう。逃げる人々の多くが「熱い」「痛い」と叫んでいた。

 「生きなあかん」。心の中で繰り返し、無我夢中で逃げた。手をつないでいた家族とは、いつの間にかはぐれた。靴が脱げ、足の裏が焼けるように熱い。

 何体もの死体が道をふさいだ。…

2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment