お年玉付き年賀はがきが登場してから70年になります。昭和から平成にかけて年賀はがきは日本社会に浸透し、正月の風物詩となりました。しかし、近年ではメールやSNSが普及したためか、発行枚数を年々減らし続けているようです。
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郵政研究所附属資料館が発行した資料などをもとに、年賀はがきの歴史を振り返ってみました。
平安時代の文献に年賀状の例文
年始のあいさつのために年賀状を送る風習は、はるか昔から存在していたようです。11世紀中ごろ、平安時代の学者、藤原明衡(あきひら)の著と伝えられる男子用の手紙文例集「明衡往来(雲州消息)」に、年賀状の例文が残されているそうです。年賀状がいつから存在するのかは定かではありませんが、少なくとも約1000年前にはすでに新年のあいさつを手紙の形でやり取りする風習があったといえそうです。
そして時は流れ、1871(明治4)年に日本で郵便事業がはじまると、郵便はがきを使った年賀状が人々のあいだに広がりました。元々、年の初めには親族や世話になった人、近隣の人の家を回ってあいさつする「回礼」という習慣がありましたが、社会の発展とともに人々の交流範囲が広がり、物理的に難しくなってきたことも、年賀はがきの普及につながったようです。
年賀状の増加に対応するために自動消印機が登場するなど、年賀状は郵便事業の機械化を促したという側面もあったようです。
終戦後「知人同士で消息知れる」
今では当たり前になったお年玉くじ付き年賀はがき。これが登場したのは、1950(昭和25)年の元旦用(前年の12月発売)からです。アイデアは、京都在住の会社経営者の男性が考案しました。男性は後に雑誌の取材に「太平洋戦争の終戦後、年賀状が復活すれば知人同士で消息を知ることができる。また、年賀状に賞品が当たるくじがあれば夢があるし、寄付金付きにすれば社会福祉にも役立つ」といった趣旨の話をしています。
ただ、男性はここまで長くお年玉くじ付き年賀はがきが続くとは思っていなかったようで、「物のない2、3年のことと考えていた」と感想を話していたそうです。
最初の官製年賀はがきの発行枚数は、1億8000万枚。お年玉くじの賞品は、特等がミシン、1等が純毛洋服地、2等が学童グローブとなっており、一番最後の6等は、今も賞品に採用されている切手シート(2円×5枚)でした。
以降、官製年賀はがきの発行枚数はどんどん増えていきました。1965(昭和40)年の元旦用で10億枚台、1974(昭和49)年用で20億枚台、1984(昭和59)年用で30億枚台に到達。ピークは2004(平成16)年用で、44億5936万枚に達しました。
お年玉くじの賞品は、昭和20年代後半に電気洗濯機、昭和30年代にトランジスタ携帯ラジオ、昭和40年代にポータブルテレビや電卓、昭和50年代にラジカセや電子レンジがそれぞれ登場。その変遷は、生活が豊かになっていく戦後の昭和史を見るかのようです。平成に入ると、人々の価値観の多様化を反映してか、複数の賞品から1つを選べる形式が採用されています。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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