棚橋咲月 小野太郎 比嘉展玖 伊藤和行
今年も会いに来ました――。最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市摩文仁(まぶに)には、約24万人の犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」がある。旧日本軍の組織的戦闘が終わった日とされる「慰霊の日」の23日、多くの人たちが花束や泡盛を手に訪れ、犠牲になった家族に思いをはせた。
「ここに来ると、会いに来たような気がします」
浦添市の安里恵美子さん(79)は、父の名前が刻まれた礎の前にたたずんだ後、そう語った。
防衛隊に召集された当時20代の父は1943年、戦死した。安里さんは翌年に生まれ、父の顔も、どんな人だったかも知らない。
だが、父は戦時中に腕を負傷し、傷痍(しょうい)軍人の申請ができたにもかかわらず再び戦地に赴き犠牲になったと、育ての親から聞いた。なぜ再び戦地に行かせたのか、育ての親は何度も悔やんでいた。
戦争の映像を見るのも、礎に足を運ぶこともつらくてできなかったが、孫が生まれてからは戦時中の出来事と向き合わなければと思うようになった。安里さんは礎を埋め尽くした名前を見渡し、「これだけの犠牲者がいる。伝えなきゃ」と力を込めた。
宜野湾市の福地陽子さん(85)は、平和の礎に刻まれた父、比嘉定昭さんの文字に触れ、つぶやいた。「4人の孫たちに自分と同じような経験をさせたくない」
思い出すのは、明るくユーモ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル