どうせなら、最期は大好きな海で――元漁師の男性(54)は、死に場所を探すようにさまよい歩き、福井県の景勝地・東尋坊にたどり着いた。
昨年9月の平日の午後だった。観光客でにぎわう岩場を避け、少し離れたベンチで横たわっていた。10日間ほどかけて、故郷の石川県から歩いてきたが、ここ数日で口にしたのは、アメ玉、木の実、水道水。空腹の限界は優に超えていた。
ズボンのポケットには小銭712円だけ。岩場が静まる夜を待って、身を投げようと思っていた。すると、突然声をかけられた。命の恩人との出会いだった。
海の町で生まれ育った。漁業関係の仕事をしていた父と母。家庭内では、幼い頃から長男優先の慣習が強く、次男である自分はいつも「二の次」扱い。居心地は悪く、水産高校を卒業後には実家を飛び出した。
二十歳過ぎで漁師になり、船に乗って北海道沖や太平洋へ。「波が荒れた大しけの海での漁は、迫力があって面白かった」。景気は良く、半年で800万円ほど稼いだこともあった。
38歳で、新しい漁船を求めて九州に移った。その頃、実家への仕送りをめぐって母親から嫌みを言われ続け、「帰ってくるな」と突き放された。
40歳を過ぎてから、3人の息子がいる女性と結婚。数年経った頃にはその息子に子ができ、突如、祖父になった。「じいじ、じいじ」。連れ子や孫から懐かれ、幸せを感じた。
一方、年を取るごとに雇ってもらえる船が小さくなっていき、30万円弱だった手取りの月給は約15万円に。生活が苦しくなるごとに、自然と夫婦の会話も少なくなっていく。そして、2020年末に離婚した。
借金を抱え、職も失った。追い出されるように九州を出たが、行く当てはなく、母と兄が暮らす石川の実家に戻ることに。地元で漁業関係の仕事を探し歩いたが、どこにも受け入れてもらえなかった。
腹を立てた母からは「(働い…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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