仕事やめた、山にこもった 仕事は捨てても自分は捨てない生き方

 頑張ってるのに理解されない、こんなはずじゃなかった、苦しい、仕事やめたい――。人生でつまずいた時、心が痛い時、どうすれば? 答えてくれるのは、越前屋俵太さん。世界各地の道端で転び、仕事を全部やめて山にこもったことも。つまずきのプロに、こけてからの起き上がり方を聞きました。

やめさせられる恐怖

 仕事をやめたことがあります。その後5年、山にこもってました。

 やめたくなる瞬間って、心が折れる瞬間だと思います。

 僕の場合は、フリーランスでテレビ番組を作る仕事をしてました。関西のお笑いという、吉本(興業)しか生きていけない場所で独りでやってたんです。

 偉そうに言っても、しょせんはテレビ局に使われる身。長い間、やめさせられる恐怖の中で働いてきました。

 そのうち、やめたくなった。笑えない、聞けない、話せない。「自分が自分じゃなくなってる」って気づいたんで。

 いざやめるのは簡単じゃないですね。人間関係に家族や収入、いろんな問題がある。僕も「探偵!ナイトスクープ」の番組を降りるまで3年かかりました。

 自前の制作会社を持っていて、スタッフもいた。畳むのは生易しいもんじゃなくて。

世間か、自分か

 でも、結局は自分を取った。そうするしかないんですよ。決めるということは。世間か自分か、どっちを取るかの勝負。「自己中」は悪いことのように言われるけど、いいんです。人様を中心に決める人なんて、信用できないでしょ。

 人は本来、想定外が怖い。失敗したくない、転びたくないものです。

 僕はそこをあえて見せる仕事をしてきました。自ら世界各地の川や海に落ちたり、道端で転んだり。パリのセーヌ川にはアリの着ぐるみのまま落ち、シャンゼリゼ通りでコケて、フランスパンを落としました。

 気づいたことがあります。

 転んで体のバランスが崩れる瞬間、自分を放り投げると、意外に痛くない。「あかん」の瞬間、崩れていく自分に身を委ねる。

 世間は「ひろゆき」を気にしてますが、「なりゆき」も大事です。

 こないだパリに行ってきました。

 今、映画を作っているんです。かつてアリの格好で落ちたセーヌ川の。

 一時は山にこもって何もせずにいた僕がこんなことをしてるなんて、不思議です。

 仕事をやめずにいたら、もっとテレビに出てるかも。でも、今のように考えられる自分はいない。

生き様は皆かっこ悪い

 仕事のしんどさって、なりふりかまってしまうことにも原因がある気がします。

 (リアルと演出の間で物作りをする)テレビの世界は特にそうですが、一般社会でも、みなさん、仕事中は自分を演じているのでは。

 良く見せたくて、しんどくなる。「やらされてる」と思うとなおさら。

 しんどい人にお伝えしたいのは、「ビー・ユアセルフ」。あなた自身でいて、ってこと。生き様なんて、みんなかっこ悪い。のたうち回って、きれいなもんじゃない。自分らしくあることをやめなければ、他の何をやめてもどうにかなります。

 途中で折れたっていい。またくっつくから。つぎはぎ人生、いいじゃないですか。だからみなさん、大丈夫ですよ。

 自分自身であることを、やめない限り。

 山ごもりで分かったこと?

仕事をやめた俵太さん。5年の山ごもり生活は、驚きの連続だったそう。自然と向き合う中で、大切なことに気づいたといいます。

 土を耕すように、心にも自分…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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