青葉山(仙台市青葉区)から城下を見下ろし、仙台っ子のシンボルだった伊達政宗騎馬像。実は作者が約90年前に意図したのは、勇ましい武将の姿ではなく、穏やかな「平和の像」だった。3月の地震で傷つき、台座を下りて修理が始まる政宗像の、制作秘話をさぐってみると――。
銅像の建立は、政宗没後300年祭(1935年)の記念事業として、宮城県青年団などが発案。柴田町出身の彫刻家・小室達(とおる)(1899年~1953年)に白羽の矢が立った。制作には2年をかけ、35年に除幕された後、戦時中の44年、金属供出で姿を消した。残されていた石膏(せっこう)原型を使い64年に完成したのが、現在の2代目の像だ。
東京・松濤美術館の学芸員、野城(やしろ)今日子さん(近現代彫刻史)は、柴田町の「しばたの郷土館」が収集した小室関連の資料などをもとに、像の制作過程を調べてきた。野城さんによると、像は政宗37歳のとき、居を仙台城に定め、初入城した時の姿がイメージされたという。
小室には何人かの助言者がい…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル