伊藤博文故郷の資料館に初の女性館長 「歴女」になった元バスガイド

 初代首相・伊藤博文の生まれ故郷にある伊藤公資料館の毛利美友紀さん(40)は、9代目にして初の女性館長だ。伊藤は子どものころ萩に移り住み松下村塾で学んだことから萩出身と誤解されることもしばしばあるが、光市束荷の出身だ。山口県内の主要観光ルートから外れ、コロナ禍も相まって来館者は伸び悩むが、光出身の認知向上や、来館者増に取り組んでいきたいという。

 「この服は伊藤公が着ていた公爵大礼服です」

 毛利さんが良く通る声で、下関市から来館した夫婦に館内の展示を説明した。夫婦は、萩市の松下村塾と、近くにある伊藤の旧宅や別邸には行ったことがあるが、ここにはたまたま立ち寄ったという。夫(71)は「こういう資料館があるとは知らなかった。分かりやすくていいですね」と満足げだった。

 毛利さんは下松市出身。子どものころから「歴女」だったわけではない。高校を卒業後、2002年に防長交通(周南市)に就職。バスガイドとして4年間、団体旅行客や修学旅行客らを秋吉台関門海峡といった観光地に引率した。その一つが、伊藤や高杉晋作ら志士たちが吉田松陰の薫陶を受けた松下村塾だった。

 「自分と同世代の人たちが、国をどうにかしなければいけないという思いを持ち行動していたことに引かれました」。幕末維新に興味を持ったことが縁で徳山毛利家14代当主の就慶(なりよし)さん(50)と知り合い、結婚を機に退社した。

 育児をしつつ、幕末維新の歴史に携わる仕事をしたいと思い立ち、11年から玉川大学教育学部で学び、博物館教育を専攻して学芸員資格を取得。防府市教育委員会で遺跡発掘に携わった。幕末維新の歴史への思いは捨てがたく、21年から光市教委で働き、館の仕事にも関与。公募に手を挙げ、今年4月に館長に就任した。

 就任前からの仕事では、所蔵資料を文化庁の文化遺産オンラインに登録し、全国の人が閲覧しやすいようにした。「明治150年」の18年度は8248人だった来館者は、コロナ禍に伴い、21年度には過去最低の4105人に半減。インバウンド観光客の取り込みをはかろうと、近くにある旧伊藤博文邸(県指定有形文化財)に英語案内のQRコード付き看板を置いた。

 現在、明治天皇から下賜(かし)された銀杯など、伊藤の子の真一の子孫から寄贈された資料を紹介する特別展(8月27日~11月26日)の準備を進めている。

 伊藤や盟友の井上馨ら、後に「長州ファイブ」と称される若き俊英5人が志を持って渡英してから160年の今年、女性で初めて館長になった。「志とやる気があったので採用していただいたと思います。伊藤公が光出身ということを発信していきたいです」(大室一也)

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 〈伊藤公資料館〉1997年、大和町(当時)が初代首相の伊藤博文生誕150年記念事業として、伊藤公記念公園内に約2億8千万円をかけて整備した。鉄骨平屋建て、広さは約534平方メートルあり、外観はれんが造りの明治風建築。伊藤の肖像が印刷された旧千円札第1号券、神奈川県大磯町にあった「滄浪閣(そうろうかく)」で使っていた家具、公爵大礼服など981点を所蔵し、うち110点を展示している。伊藤以降の歴代首相の書も収集し、一部を公開。月曜休館。公園内には旧伊藤博文邸(県指定有形文化財)、復元された伊藤の生家、産湯に使ったとされる井戸などもある。

◆yabは25日午後5時33分からの「Jチャンやまぐち」で放送予定です。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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