山里に伝わる史実をもとに、日本古来の「たたら製鉄」を復元しようと、夢を追う人たちがいる。
伊達政宗が仙台藩主の頃、一人のキリシタン武士がここに住みつき、村人に製鉄技術を伝えたのが、物語の始まりだ。
武士の名は東海林備後(しょうじ・びんご)。
キリスト教禁止令の影響で、仙台藩では彼のようなキリシタンを、山里にかくまう必要もあったらしい。十数年の間、年間約7トンの鉄を藩に納め、筆甫はたいそう潤ったとされる。
およそ400年下って2002年のこと。
さびれる筆甫を盛り上げるネタはないかと、地域の仲間が相談していた。
「製鉄をまたやってみよう」と、誰かが言いだす。話は盛り上がり、7人で会が発足した。
庄司一郎さん(71)もその中にいた。
「今は技術の世の中。すぐできる」 甘かった
東海林備後の16代目の子孫…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル