人口のほぼ2割が外国籍の群馬県大泉町。「この町の姿は将来の日本の姿だ」という村山俊明町長に、共生に向けた課題などを聞いた。
――大泉町では1990年代に外国籍の住民が増えました。3世までの日系人とその配偶者らが定住し働けるようになった、90年の入管法改正がきっかけでした。
「大泉町や周辺地域は製造業で栄えてきました。戦前は戦闘機などを生産していた中島飛行機の工場がありました。現在も自動車や電機メーカーなどの様々な工場があります。80年代から人手不足に直面し、外国籍の人たちが徐々に働くようになりました。当初はバングラデシュやイランなどの出身者が多かった。次第にブラジルやペルーなどの日系人が増え始め、90年の入管法改正で急増しました。今では外国籍住民の半数をブラジルが占めます。国別では計48カ国の住民がいます」
「この33年間で、町の担当課の名前が何度も変わりました。企画調整課内の国際交流係として始まったものが、国際交流課となり、国際政策課、国際協働課を経て、現在は多文化協働課です。単なる名称変更ではなく、自治体が向き合うべきことが変わったのです」
「90年ごろは外国籍のほとんどが日系人で、数年出稼ぎしたら帰国するつもりで来ていた。職場と住居の往復でほかの住民との接触がほとんどなく、交流が必要だと考えられていました。今では町内に10年以上暮らす外国籍の人も非常に多く、大泉町に家を購入する人も増えています。外国籍の方々も一緒に町をつくっていく協働する人です」
労働力ではなく人間
――外国籍の住民と以前からの住民との共生は実現できましたか。
「外から見える表の顔は、多文化共生の先進的な取り組みをしている町かもしれません。しかし、まだ問題も多いのが実態です」
「政府や企業は労働力がほしいのでしょう。しかし、実際に来るのは人間です。経済を回すための労働力と、生活者は全然違います。そのことを政府は安易に考えているのかもしれません」
「差別などの問題も考えなければいけない。町ではあらゆる差別の撤廃をめざす人権擁護条例を17年に制定し、全国の町村で初めてとなるパートナーシップ制度も19年に導入しました。人権や多様性を重視するのは、外国籍住民が多いという特色があるからです」
「町民からはいろいろな意見がありました。『外国人ばかり住みやすくするのか』『もっと外国人を呼び寄せるのか』といったものもあった。労働人口が減るなか将来を見据えると、人権と多様性を大切にすることが町に住みたい理由になる。結局、日本人を含めた町民全体のためになるはずです」
――外国籍住民に対する否定的な意見が今もあるんですね。
「自動車窃盗や車上荒らしが問題になった時期もあり、以前のイメージを持ち続けている人も少なくないと思います。日系人が増え始めた90年代からゴミ出しのマナーは問題になり、今でも町には苦情が届きます。分別しない、指定日以外に出すといったものです。休みの日に大音量で音楽をかけながらバーベキューをやるため、騒音や煙の苦情も以前は多かった。対策としてブラジルの公用語のポルトガル語や、ペルーの公用語のスペイン語で啓発活動を始めました。今では7カ国語で実施しています」
「定住化が進むと、ずっと住むつもりの方は清掃活動に参加するなど協力的になって、マナーを守るようになります。でも、新しく来た国の人たちには理解できるまで、改めて伝えなければいけません。伝えようとすれば、多言語で対応することになります。当初はポルトガル語やスペイン語だけでよかったのですが、次々と増えていく。行政としては、すべての住民に平等にサービスを提供する義務があります。しかし、現実問題として少数の言語にまで十分に対応することは、むずかしいです」
――多言語対応の限界ですね。
英語を町の「共通語」に
「はい。技能実習制度は日本…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル