本気で怒り、笑い、生徒と向き合った吹奏楽指導者、「丸ちゃん」こと丸谷明夫さん。大阪府立淀川工科高校吹奏楽部を半世紀以上にわたって指導し、昨年12月に76歳で亡くなりました。亡くなってからまもなく1年。生前に交流があった指揮者の佐渡裕さん(61)に、丸谷さんとの思い出を聞きました。
輝いていた、淀工の音
丸ちゃんとの出会い。どこから話したらいいかな。
最初、丸ちゃんを見たのは、1974年、僕が京都市の四条中学1年生の時。吹奏楽コンクールの関西大会がたまたま京都であってね。そこで、感激して。
コンクールで、すごく緊張感が漂う雰囲気の中、ものすごく楽しそうに演奏していたのが、丸ちゃん率いる今の「大阪府立淀川工科高校吹奏楽部」だった。僕より少し上の高校生たちが、「高度な技術への指標」という難しい曲を演奏していた。僕の吹奏楽部は、高度な技術なんかなかったから、驚いて。かっこいいバンドやなって。ものすごい、記憶に残ったね。
正直、その時は、丸谷先生の指揮がどうこうじゃなくて、淀工の音がものすごく輝いていた。不思議だよね。確かに「淀工の音」というのがあって。思いのいっぱい詰まった音。でも思いは形じゃないから、それが息のスピードなのか、フィンガリング(運指)の速さなのか、何か音楽に置き換えられると思うんやけど、それがわからない。でも、引き付けられる。それが淀工には、確かにあった。
その年、淀工は、初めて関西大会で金賞をとって、全国へ行って、伝説の始まりの年。丸ちゃんもこの年のことをよく覚えていた。
次世代に何を伝えるか
――そこから、本格的に丸谷さんと関わるようになるのは指揮者になってからですか
僕はね、28歳で(フランスの)ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝してね。
その頃は、オーケストラの音程を直して、良いテンポを与えて、美しいフレーズをつくる、それが自分の使命やと思っていたけど、40歳手前ぐらいかな。先生の故レナード・バーンスタイン氏が教えてくれたことや小澤征爾氏が僕に教えてくれたこと、音楽の面白さを教えてくれた先輩たちの役割が、自分の番になってくるなと感じ始めた。
指揮者である前に人であり、人のすごく大きな使命は、次の世代に何を伝えるかということだと思ったんです。
バーンスタインが子供たちのためにニューヨーク・フィルと一緒に作った音楽番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」。その日本版を裕が作ったらどうかとバーンスタインの遺族に言われてね。1990年代の終わりぐらいかな。子どもたちのためのオリジナル演奏会「佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサート」を始めました。
「たそがれコンサート」の衝撃
そして2003年、(小中高生を対象にした)「スーパーキッズ・オーケストラ」も誕生した。各地の小学校で音楽の授業をすることも増え、子どもたちに教えたり、接したりするようになり、ここで、丸ちゃんの存在というのが見えてくるわけよね。
2005年、芸術監督を引き…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル