78年前の8月9日午前11時2分、米国の原爆投下により一瞬で「日常」が奪われたことを忘れないでほしい――。そんな思いから活動を続ける被爆者と、思いを受け止めようとする孫がいる。
9日、長崎市の中心地「浜町アーケード」。午前11時2分になると、その瞬間に2人が同時にカメラを街に向けた。被爆者の小川忠義さん(79)と、孫の長門百音(もね)さん(20)。この日の「11時2分」の様子を一緒に撮影するのは初めてだ。
1945年、1歳の時に長崎で母におぶわれて長崎で入市被爆した小川さんは、2009年から「忘れないプロジェクト」を続けている。毎年、原爆が長崎市上空で炸裂(さくれつ)した時刻と同じ「8月9日午前11時2分」に合わせて撮影された写真を全国から集め、写真展を開く取り組みだ。
07年ごろ、街中で黙禱(もくとう)をする人が減っていることに気づいたのがきっかけだ。たった1発の原子爆弾で、一瞬で多くの何げない日常が奪われた事実が忘れられてしまう、と危機感を抱いた。
当初は趣味のカメラ仲間とともに4、5人で活動していた。しかし、年を重ねるごとに1人減り、2人減り、気づけば小川さん1人に。「自分ひとりだけではどうしようもない」。わらにもすがる思いで、当時中学生だった長門さんに「写真を撮ってくれるよう、友達に広めてくれないか」と声をかけた。
肌で感じた「じいじの必死さ」
長門さんはそれまで祖父の活…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル