戦国時代に天下統一事業を進め、本能寺の変で倒れた織田信長(1534~82)の正室の名前は、「帰蝶(きちょう)」ではなかったかもしれない――。信長の正室の本名をめぐって、国文学者から出された新たな学説が注目を集めている。美濃(みの)(現在の岐阜県南部)から嫁いできたことから「濃姫(のうひめ)」とも呼ばれたとされるが、文献の検討から「帰蝶」ではなく、「胡蝶(こちょう)」だった可能性が高いとみる説だ。
この学説を唱えるのは、愛知工業大学客員教授の松浦由起(よしき)さん(近世文学)。信長に嫁いだ美濃国の戦国大名・斎藤道三(どうさん)の娘の名前をめぐって、複数の文献資料を調べた。その結果、「帰蝶」と記されているのは江戸時代の地誌「美濃国諸旧記(みののくにしょきゅうき)」に限られ、戦国軍記「武功夜話(ぶこうやわ)」には「胡蝶」、18世紀の「武将感状記」や「絵本太閤記」には「濃姫(のひめ)」と記されていた。一方で、信頼性の高いとされる信長の一代記「信長公記(しんちょうこうき)」には「道三が息女」とだけ記され、具体的な名前はない。
ただ、唯一の「帰蝶」の記録が…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル