「なあ雁部(がんべ)、俺たちっていつまで『被災者』でいさせられるんだ?」
今年の正月、東北大大学院生の雁部那由多(なゆた)さん(24)は、小学校時代の同級生5人で、久しぶりに集まった。お酒が入った流れで、そんな話になる。
東日本大震災では、みな住まいが壊れたり、家族を亡くしたりした。12年がたち、地元・宮城県東松島市で就職した友だちもいれば、東京に出たやつもいる。
「必死でがんばってきて、もう忘れて前を向こうとしているのにな」
言葉は、震災のことを人前で語り続けている雁部さんに、向けられていた。
「まあ、お前のやり方でがんばれ。でも俺たちまで巻き込むなよ」
あとはそれぞれの近況報告が続き、夜遅くお開きになった。
雁部さんが語ってきたことを、まず聞こう。
2011年3月、大曲小で5年生の3学期だった。
強い地震の後、靴を履き替えようと、校舎1階の昇降口に下りた。避難してきた大人の男性5人が、校庭をこちらに向かってきている。雁部さんはドアを開け、彼らを待っていた。
突然、鉄砲水のような勢いで、津波がどっと入ってくる。
封印した記憶、語り消化できた
目の前で5人がのみこまれた…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル