優しかった「おとう」と今日も 父の四十九日、娘は声をかけ続ける

 保育士の松井未来(みく)さん(26)は1月1日午後、金沢市の自宅アパートから石川県輪島市の実家に帰省した。

 午後3時半ごろに着くと、すぐに父健(たけし)さん(55)の部屋の戸を開けた。

 「おとう、帰ってきたよ。あけおめ」

 健さんは「おー」と言って起き上がり、ニコリと笑った。

 集合住宅の2階にある実家には、未来さんの母さおりさん(54)、金沢に住む弟の拓さん(23)もおり、家族4人が集まっていた。

 健さんは居間にやってきて、未来さんが金沢で買ってきた手土産のドーナツを食べた。「めーかった(おいしかった)」。そう言ってたばこを吸い、コーヒーを片手に自室に戻っていった。その少し後、能登を最大震度7の揺れが襲った。

 爆弾が落ちたのかと思うほどの揺れだった。横にかき回されて、ガシャンガシャンと家具が倒れ、バチバチと音を立てて停電した。

 長い揺れが収まると、さおりさん、未来さん、拓さんは家を飛び出し、住宅前の駐車場付近まで逃げた。

 あれ、おとうは?

 揺れが収まった後、健さんは自室から「いてててて」と言いながら出てきていたはず。拓さんが様子を見に行くと、2階の踊り場で大の字になって倒れていた。目と口を開き、苦しそうにうなっている。

 「たけちゃん、起きて」

 「おとう、おとう!」

 3人で心臓マッサージ人工呼吸を繰り返した。

 近くにいた看護師と自衛隊員が駆けつけ、健さんを駐車場の広いスペースへ。看護師らは気道を確保し、心臓マッサージを続けた。

 未来さんは何度もスマホから119番通報した。

 「行きますので、待っていてください」

 そう言われたが、いっこうに救急車は来ない。

 空からは冷たい雨。近くの火災現場から押しよせる煙。雨風がしのげる集会所に健さんを移動させた。

 地震から2時間半が経ったころ。未来さんは健さんの右手を握りながら声をかけた。「未来も、拓も、おかあも、みんな大丈夫やし、あと、おとうだけやよ。早く戻ってきて」

 その声に応えるかのように、健さんは足を動かし、右手をぎゅっと握り返した。その直後、体がけいれんし、目と口を閉じた。

 近くの市立輪島病院まで車で運んだが、負傷者であふれ、病院には入れない。敷地内にある薬局に運び入れたときには、健さんの体は冷たくなっていた。

 検視の結果は「即死ではない…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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