電車の優先席が空いていたら、座ってよいか、空けておくべきか――。
駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバさん(35)が先月、自身が優先席を利用する様子をツイッターに投稿したところ、SNS上で大きな議論を巻き起こした。
「見た目ではわからない障害をもつ人もいる」「自分から譲ってとはいいづらい」といった、やはり席は必要な人のために「空けておくべきだ」とする意見もある一方、レジャバさんの考え方に共感する意見もあった。出来事を通して感じた日本社会への印象を本人に尋ねた。
――どんな状況で優先席に座り、ツイッターに投稿しましたか
6月18日、日曜日に家族と一緒に電車で移動していました。乗った電車は優先席以外が少し混んでいて、優先席は空いていたので家族と座りました。
普段からツイッターで身の回りの様子や日常のシーンを発信しています。投稿にあたって、窓に貼られた文言を読みました。「座ってはいけない」とは一言も書かれていませんでした。
「間違ったことはしていない」
写真は向かいに座っていた妻に撮ってもらいました。写真写りを考え、足を組んだバージョンを撮りました。「ゆらゆら都心へ進みます」という文言とともに、撮影後すぐに車内で投稿しました。
――フォロワー数は、23万人超いますね。その日のうちに「優先席だぞ、そこ」「優先席に座るのは残念」といった反応もありました
予想しておらず、びっくりしました。間違ったことをしていないのに、どうして非難されなきゃいけないんだろうと。理解できませんでした。
――優先席についてどのように考えていますか
席が空いているんだったら、座るのを我慢する理由は一つもない。堂々と座っていいと思っています。必要としている人が来たら、譲ればいい。それだけの話です。
ジョージアにも優先席はありますが、多くのジョージア人が同様に考えるでしょう。
――どうして「座るべきではない」という意見があるのだと思いますか
最初からみんなが座らなければ、席を譲るという面倒な行動を誰も取らずに済むからではないでしょうか。
たしかに譲るのは目立ちます。「いいことをしている」と周りから見られるのが恥ずかしいという人はいるでしょう。隣の人が譲るのを期待して、優先席を必要としている方を見て見ぬふりをするといった連鎖が起こっている場合もあると感じます。
――当日夜に投稿した内容も、反響を呼びました
「座るべきではない」は「リスク減らし」
「優先席に座っていることに関して注意を受けました。理屈のない不要な圧力は、生きづらい社会につながるためやめましょう。空いている席に座ることに何ら問題はありません。大切なのは、必要とする方が来たときに率先して譲る精神です」と書きました。
非常に反響があり、議論が生まれました。「優先席は座るべきではない」なんて支配的なルールは、仮に座って、必要とする方に自分が配慮できなかった場合の(心の負担という)リスクを減らしているに過ぎません。
――どうして改めて投稿したのですか
私と同じように、SNSなどで意味のない圧力に苦しんでいる人が、他にもいるのではないかと考えたからです。全体からみると非難の数は少なくても、積み重なるとダメージは大きくなる。声を上げようと思いました。
――もともと優先席について関心があったのですか
あまり考えたことがなかったというのが正直なところです。今回は、自分の優先席に対する方針を考えるきっかけになりました。
譲るべき時に譲れるかどうか
妻にも聞いてみました。日本で妊娠していたり乳幼児を連れていたりした時に、譲られた記憶は一回もないと話していました。
――優先席への考え方は、どうあるべきでしょうか
優先席かそうでないかにかかわらず、譲るべき時を察知して譲れるかどうかが、肝心なのではないでしょうか。
もし「優先席は座るべきではない」という自分なりのルールがあるのだとすれば、それはやさしさを促進させるためのものではない。だとすれば、人をむやみに束縛するものであってもならないはずです。
――ルールを押し付けるような意見が出る日本社会をどう見ていますか
現代の日本社会を象徴していると感じました。人間同士のつながりが希薄になり、席を譲り合う時に生じるコミュニケーションを「面倒くさい」と敬遠しているんだと思います。
日本社会は、他人と違う決断をするのが非常に難しく、個性的であるのが良しとされないように感じています。一方で、その裏にある統一感のようなものは、合理性が高く、この社会の強さであると思います。でも、同調圧力を過剰なまでに押し付けるのはよくない。無意味な圧力に対抗できる強さを持ちたいです。(三井新)
識者は「議論にふさわしいテーマ」
千葉大学大学院の小林正弥教…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル