知米派の国際ジャーナリストとして知られ、朝日新聞社の論説主幹を長く務めた松山幸雄(まつやま・ゆきお)さんが10月30日、心不全のため東京都内の病院で死去した。91歳。葬儀は近親者で行った。連絡先は同社秘書部(03・3545・0131)。
1953年に入社。政治部記者を経て、ワシントン特派員、ニューヨーク支局長、アメリカ総局長を歴任し、滞米取材は10年に及んだ。83年から91年まで論説主幹。昭和から平成にまたがり、冷戦終結をはさむ激動期に、朝日新聞の言論を担った。退社後は共立女子大教授として教壇に立った。
70年代から80年代にかけ、日本が国際社会で存在感を増した時期に、日本について、米国民に英語で紹介、発信した。記者としてはパイオニア的存在だった。ハーバード大のエズラ・ボーゲル教授、コロンビア大のジェラルド・カーティス教授ら、知日派識者との親交が深かった。
一方、米国体験をもとに、日本人の国際化の必要性を唱える執筆活動を精力的に展開した。日米の教育文化の比較を試みた78年の「『勉縮』のすすめ」はベストセラーに。「日本診断」「しっかりせよ、自由主義」「自由と節度」など、柔らかく達意の文章でつづった著書は多くの読者に迎えられた。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル