《弁護側から田口被告の医師の意見書などが提出され、いよいよ小嶺被告から被告人質問が始まる》
裁判官「小嶺被告の被告人質問を行います。小嶺被告のみ証言台へ。いすに座ってください」
《ゆっくりと席を立ち、険しい表情で証言台へ向かう小嶺被告。その様子を田口被告は目をそらさず、どこか優しい表情で見つめていた》
小嶺被告の弁護人「弁護人からおたずねします。回答するときには前を向いてこたえてください。あなたの経歴から尋ねます。生まれたのは昭和55年、1980年ですか」
小嶺被告「はい」
弁護人「芸能界に入ったのは1993(平成5)年ですか」
小嶺被告「はい。13歳のときです」
弁護人「芸能界ではどのようなお仕事をしていたのですか」
小嶺被告「映画やドラマ、CMなどのお仕事をしていました」
《多くの精神疾患を抱えたという小嶺被告。田口被告と出会う前にも、ストレスをため、気絶することがあったという》
弁護人「パニック障害になりましたね」
小嶺被告「はい。20歳の頃に診断されました」
弁護人「なぜパニック障害と診断されたのですか」
小嶺被告「仕事で悩んでいました。1週間ほど家に閉じ籠もり、買い物先に出たときに気絶し倒れました」
弁護人「具体的にはどのような症状が出たのですか」
小嶺被告「人混みや緊張すると、視界がぼやけて、過呼吸を起こしたり気絶してしまいます」
弁護人「仕事が原因だったんですか」
小嶺被告「仕事しか悩みはなかったです。医師にはストレスと診断されました」
《仕事でのストレスを抱えた小嶺被告は、20歳になり田口被告と出合う》
弁護人「その後に田口被告と出合ったのですか」
小嶺被告「はい。20歳のときです」
弁護人「2006(平成18)年のことですか」
小嶺被告「はい」
弁護人「その頃田口被告は何をしていましたか」
小嶺被告「ジャニーズ事務所でアイドル活動をしていました」
弁護人「出会ってから交際までどのくらいかかったんですか」
小嶺被告「2カ月くらいです」
弁護人「写真週刊誌にスクープされたのは、交際してからどのくらいでしたか」
小嶺被告「2、3カ月くらいです」
弁護人「事務所では恋愛は禁止だったんですか」
小嶺被告「私の事務所は禁止されていませんでしたが、『仕事に差し支えるから気をつけなさい』と言われました。私の中ではジャニーズ事務所は禁止されていると思っていました」
弁護人「彼の仕事に影響はありましたか」
小嶺被告「はい。決まっていた仕事をおろされました」
弁護人「彼のファンから反応はありましたか」
《写真週刊誌に交際をスクープされ、田口被告の仕事が減るなどの影響が出てしまう中、最も小嶺被告を苦しめたのは田口被告のファンの悪質な行為だった》
小嶺被告「悪質なファンからの嫌がらせはものすごくたくさんされました」
弁護人「具体的にはどのような嫌がらせをされたのですか」
《小嶺被告は涙ぐみ、一層声を震わせながら話し始める》
小嶺被告「私のブログに『消えろ』『死ね』と脅迫文のようなコメントが殺到したり、実際に車で追いかけられたり、愛犬に変なものを食べさせられたりしました。挙げるとキリがありません」
《ブログは最終的に閉鎖し、コメントの9割が悪意のあるもので占められたという》
弁護人「あなた自身は正常でいられたのですか」
小嶺被告「交際して2、3年で、食べられなくなったり、睡眠中の発作が起こるようになりました」
弁護人「具体的にはどういう症状が出たのですか」
小嶺被告「寝付きは悪くはありませんでしたが、5、6時間たつと目が覚めて発作が15分くらい続いたりしました」
《摂食障害にもなり、小嶺被告はさらに精神的に追い込まれていったという》 小嶺被告「耳管狭窄(きょうさく)症という病気になりました。常に耳の鼓膜が痛かったです。痛すぎて立つのが苦痛でした」
弁護人「耳管狭窄症もストレスが原因だったのですか」
小嶺被告「はい。たくさんの病院を受診しましたが、基本的に耳の病気はストレスだと診断されました」
《発症してからは痛みから一度も飛行機に乗っていないという小嶺被告。田口被告との交際で苦しませられたのは、ファンからの嫌がらせだけではなかった》 「嫌がらせもそうですが、真実でないことをマスコミに書かれて、それでも彼のために黙っていないといけませんでした」
小嶺被告「私は悪役や冷たい女性を演じるのが得意でした。そういう仕事は彼の仕事に影響が出てしまうからやらないようにしました」
弁護人「マスコミにはどのようなことを書かれたのですか」
小嶺被告「私が妊娠したと別人の写真を使われたり、私が裸のような格好で奇声をあげていたなど事実と違うことが書かれていたのが辛かったです」
弁護人「2009(平成21)年ごろの話ですか」
小嶺被告「はい」
弁護人「大麻に手を出したのもこの頃ですか」
小嶺被告「はい」
《田口被告との交際によってファンやマスコミから苦しめられる日々が続いた小嶺被告は大麻に手を出したときの思いを赤裸々に語る》
弁護人「どうして大麻に手を出したのですか」
小嶺被告「大麻は苦しみを緩和すると聞いたことがありました。実際に使用して自分が抱えていた怒りや不安が解消されました」
《大麻を使用し始めた平成21年に仕事を辞めて、母親とヒーリングショップを開いた。商品を傷つけられるなど嫌がらせを受けた小嶺被告。ファンやマスコミから姿を消すのに苦心していた》
小嶺被告「家に入る際に、彼が台車を押して、私は段ボールに入って、見られないようにしていました」
弁護人「見られないように気をつけていたんですね」
小嶺被告「はい。私たちの交際が撮られて彼の仕事が減少するのが怖かったです」
《田口被告は平成28年末にジャニーズ事務所を辞めることになった。辞めるのが決まったのはその半年前だという。この時にさらに別の精神疾患にかかり、小嶺被告は追い込まれていく》
小嶺被告「彼の退所が決まった日に、静岡に逃げました。そこにもマスコミが来てしまい、自分には逃げるところがないという絶望からこの世から消えてしまいたいと思いました。そして鬱病と診断されました」
弁護人「彼が事務所を辞めたのはどうしてなのでしょうか」
小嶺被告「それだけではないと思いますが、私が衰弱していくのを見て…」
《真剣な面持ちで見守る田口被告には振り向かずに、裁判官に向かい話を続ける小嶺被告の被告人質問は続く》
=詳報(3)に続く
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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