兄の無実、60年信じ叩く再審の扉 名張毒ブドウ酒事件

 三重県名張市で5人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」から28日で60年になる。奥西勝元死刑囚は、無実を訴えながら獄中で40年以上を過ごし、2015年に病死した。妹の岡美代子さん(91)は、再審の扉を開かせようと、今も訴え続けている。

 1961年3月28日夜、葛尾地区の公民館の懇親会で、農薬入りのブドウ酒を飲んだ女性17人が中毒症状を起こし、5人が死亡した。

 現場にいた80代の男性は「地獄だった。思い出すとぞっとする」と振り返ったが、事件については「後味が悪い」と言葉少なだった。現場の公民館は取り壊され、別の場所に建てられている。

 当時35歳だった奥西元死刑囚は逮捕、起訴された。一審は無罪。二審の名古屋高裁が逆転有罪で死刑を言い渡し、最高裁で確定した。無実を訴えて再審請求を繰り返したが、2015年10月、肺炎のため都内の医療刑務所で死亡した。岡さんは「刑を執行されず、病死したことは、せめてもの救いです」と話す。

手帳には「いいかげんしてくれよ」

 遺品は、面会や支援活動を続けてきた稲生(いのう)昌三さん(82)が引き取った。世界中から届いた励ましの手紙。直筆の申立書の控え。手帳もあった。第7次再審請求で再審開始決定が出た05年4月5日は「感動」「嬉(うれ)しくて涙の面会」と喜びをつづった。3日後に名古屋高検が異議を申し立てると「残念である 又(また)いじめ もういいかげんしてくれよ」(原文のまま)。この異議申し立てにより、再審開始決定は翌年に取り消された。

 兄の死後、岡さんは集まった支援者や報道陣に、か細い声で「兄を助けてやってください」と訴えた。関係者の証言が変遷したことなど、有罪判決に疑念を抱いている。「兄は『自分はやっていない』と言っていた。私もやっていないと信じている」

 本人が亡くなった場合、再審請求ができるのは配偶者、直系の親族、兄弟姉妹だけ。ただ1人のきょうだいである岡さんが起こした第10次再審請求は棄却され、異議審が続いている。

 事件発生から60年となる28日、名古屋市で支援団体が全国集会を開く。岡美代子さんのビデオメッセージのほか、大阪市で1995年に女児(当時11)が焼死した事件で再審無罪となった青木恵子さんらが登壇する。

 午後2時から名古屋市中村区名駅4丁目のウインクあいち小ホール2。定員120人、入場無料。問い合わせは日本国民救援会愛知県本部(052・684・5825)へ。(大野晴香)

名張毒ブドウ酒事件の年表

1961年3月 事件発生

  4月 奥西勝・元死刑囚を逮捕、起訴

64年12月 津地裁が無罪判決

69年9月 名古屋高裁が逆転死刑判決

72年6月 最高裁が上告棄却。死刑判決確定

73年~2002年

     第1~6次再審請求。すべて棄却

05年4月 名古屋高裁が再審開始決定

06年12月 名古屋高裁が検察側の異議申し立てを認め、再審開始決定を取り消し

15年10月 奥西元死刑囚が死亡。第9次再審請求の審理終了

  11月 岡美代子さんが第10次再審請求


Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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