後藤新平は医師であるとともに、満鉄初代総裁、内相、外相、東京市長などを歴任した人物。小池知事によると、後に東京市長となる後藤は日清戦争(1894~95年)後に、コレラが大流行していた中国から帰還する兵士約20万人の検疫、受け入れ態勢の構築に携わり、「伝染病に対して果敢に取り組んだ先駆者としての実績がある」と強調した。
どのような実績なのだろうか。小池知事は言う。
「(後藤は)瀬戸内海の島3か所に、計401棟の検疫施設をわずか2か月で完成させて、帰還兵を迎える場を作った。当時は予算があまりに過大じゃないか、と批判もあったようだが、刻一刻と迫る危険を前に、人々の理解を得ながら水際作戦を大胆に実行した。その結果、後藤新平はこの歴史に残る大検疫をわずか3か月という短期間で見事成し遂げた。そして、日本をコレラ大流行から守った」
これらの経験をした後藤が、「その危険の恐るべきこと、弾丸よりも大なるものがある」との言葉を遺したのだという。
小池知事は、「この新型コロナウイルスの脅威に直面する現在、私たちは改めてこの言葉を思い起こさずにいられません。学ぶべきところ大です」と訴えた。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース